推理モノを読まないわたしがトイレにも行かずのめり込んだミステリー|bookレビュー
わたしは推理小説、ミステリーのジャンルをあまり自ら好んで読もうとしない。ところが先日、とあるミステリー小説に度肝を抜かれ、ここに記そうと決めた。せっかくのミステリー小説なので大規模なネタバレは避けるが、未読の方はご注意を。
その小説とはこちら。
服部まゆみさんの「この闇と光」、である。
すべての世界が崩壊する衝撃と快感。驚愕必至の傑作ゴシックミステリ。森の奥深く囚われた盲目の王女・レイア。父王からの優しく甘やかな愛と光に満ちた鳥籠の世界は、レイアが成長したある日終わりを迎える。そこで目にした驚愕の真実とは……。耽美と幻想に彩られた美しき謎解き! (GoogleBOOKSより)
ゴシックミステリ、の名のとおり、まず世界観が美しい。主人公レイアは盲目ゆえに、彼女の世界を構築する情報は、視覚以外の感覚から伝わってくる。繊細なレースがあしらわれたドレス。クラシック音楽。窓から差し込む日差しの柔らかさ。父の温もり。ベロアの布の艶までが、脳内にスッと入ってくる細やかな情景描写。そして、対比で描かれる底知れない恐怖。
ダフネから最初に言われた言葉は「死にたいの?」だった。部屋と同じように冷え冷えとした声、怒りと憎悪が凍りついた声。喉からではなく、どこか別の場所から発せられたような奇妙な響き--闇と孤独から救われたいという希望は砕かれ、わたしは闇よりも濃い恐怖と、孤独よりも恐ろしい敵意に包まれていた。
レイアが恐怖を抱いているのは、侍女のダフネ。レイアはダフネは自分を亡き者にしたがっていると思っている。レイアの世界を構築しているのは、ダフネへの恐怖と、温かな箱庭での父との日常。その二つだけが彼女の世界で、箱庭の中で光の姫はすくすくと育つ。
簡単に言うと、みんな大好きなどんでん返しモノであるのだが、この一言で結末が予想できるほど、この物語は甘くはない。読者の中でこの展開を予想出来た者はかつていたのだろうか。とにかく、わたしは大いにこの本に翻弄され、気づけばやらなければならないタスクを放り置いて、冒頭から読み切るまで5時間ほど本を手放せなくなってしまった。
この小説を読見終わっての感想は、自分の見えている景色が世界の全てではないことを自覚すべきである、と言うことだ。
誰かから見たわたしの人生と、わたし送っている日々が同じであると、どうして信じ切れる?
自分が置かれている環境は、ほんとうに自分が選んで作り上げた人生の一部なのか。それとも、影さえも他人の意思によって惹かれた完璧なレールの上を歩いているだけなのか、今一度考えたくなった。
本編もさることながら、皆川博子さんの解説もまた、この作品に非常にマッチしていて、全同意で頷いてしまった。
服部まゆみさんのお作を読むとき、いつも、薔薇の香油を連想します。厳しい審美眼によって厳選された文学、美術、音楽の深い知識、それらに対する思索。一つの言葉、一行のフレーズは、膨大なそれらから抽出された一雫です。
妖艶な薔薇と棘がセットであるように、この物語に隠された壮大な秘密な上で、読者であるわたしたちとレイアはお茶会をすることになる。床は硝子でできていて、あと一歩で全て崩れ落ちるところまで日々が入っている状態なのに、レイアはわたしの手を取って踊りましょうを誘いをかけてくる。円舞曲のステップに戸惑いながらも、美しいレイアの笑顔に見惚れてしまう。でも何かが違う。それなのに、何が違うのかはさっぱりわからなくて。この焦りはなんだろうとレイアの方を向くと、彼女はその場からいなくなっていた。
読み進めるのが勿体無いくらいの、優雅で気品溢れるレイアの世界へ。不思議な国に迷い込んだのはレイア姫か、はたまたわたしたちか。幼い姫を探し、真実のかけらを見つけられたら、お城の秘密の部屋の鍵と交換できるかも……?
2021.01.14
すなくじら