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『砂の器』と木次線 未収録エピソード
“秀夫”と遊んだ子どもたち(出雲横田)
2024年4月から観光列車「あめつち」が米子駅と木次線の出雲横田駅との間で運転されるようになりました。列車が折り返す出雲横田の駅前には昭和から続く商店や旅館が軒を連ねています。
駅正面のロータリーに面した浪花旅館には映画『砂の器』のロケの時、本浦秀夫役を演じた子役の春田和秀少年が宿泊していました。主人の森山浩文さんは当時小学6年生で、4つ年下の春田少年と仲良くなり一緒に遊んだ記憶があります。
「たぶんロケの間の退屈な時間、まあ夏休みの宿題もあったのかな。気分転換にデラックス野球盤、あれを多分した…すごいかわいい子だったけど。髪が長くてね。あの時の役のあれかな」(森山さん)
森山さんの記憶では、春田少年は5、6人のスタッフらとともに旅館の2階の8畳二間に1週間ほど滞在していました。遊び場となったのは玄関のすぐ脇にあった3畳か4畳の小部屋。春田少年は2階から降りてきて、森山さんや近所の子どもたちと夢中になって野球盤で遊んでいたといいます。
同じく駅前にある藤原写真館の藤原隆司さんも旅館に滞在中の春田少年と何度も野球盤で遊んだ一人。当時は小学4年生でした。
「俺も勝手に遊びに来ちょったかもしれん。芸能人とか映画って全然イメージはないだけんね、全く…このへん近所の子が、俺ばっかりじゃなくて何人か集まってわいわいがやがや遊んだかもしれんね」(藤原さん)
子どもたちが春田少年と遊ぶのは旅館の中だけで、外で遊んだことはなかったといいます。
春田少年は自分の仕事や映画の話をすることはありませんでした。子ども同士、同じ年ごろの遊び仲間として普通に接していたようです。
森山さんは八川駅で本浦父子の放浪シーンの撮影が行われた時、ロケの様子を見に行った記憶があります。そこには父親役の加藤嘉とともに白い巡礼の衣装を着てカメラの前に立つ春田少年の姿がありました。
「演技見てびっくり。すっげえな、と…そんなことしてる、練習してるのも全然見たことがないので」(森山さん)
旅館で遊んでいる時のあどけない表情とはまるで違うプロの子役の迫真の演技に、森山さんはとても驚いたそうです。
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さて、『砂の器』の木次線沿線でのロケが後半にさしかかった8月26日のこと。森山さんの記憶では、既に春田少年やスタッフはいなくなっていて(宿泊先を移動したものと考えられます)旅館は静かだったといいます。
そこに何の前触れもなく、今西刑事役の丹波哲郎がやってきました。お付きの人は2人ほど。一行は2階の奥の個室に通されてお茶を飲み、しばらく休憩して行ったといいます。
森山さんは母親に連れられて2階の部屋へ行き、丹波に挨拶したことを憶えています。
「部屋に親に連れていかれて、頭こう押さえつけられて…こんにちはって言って。頭をおさえられて、ははー、みたいな感じ」(森山さん)
この時丹波が書いたサイン色紙が今も残っていて、宛名は「浩文君」となっています。
写真館の藤原さんもこの時浪花旅館の玄関先で丹波に遭遇しました。「春田君と一緒に遊んでくれてありがとう」とお小遣いをもらったといいます。
「俺ずうずうしくお邪魔して丹波さんにお会いして、スタッフさんがなんか言われて『こいつよう遊んじょったぞ』と言われたら、なんかそんな記憶かな」(藤原さん)
大スター、丹波哲郎の突然の来訪は、春田少年の遊び相手になってくれた横田の子どもたちへの感謝の気持ちを伝えるためだったのかもしれません。