2020.1114
前の自分なら
ハッピーエンドの話だって
幸せに満ちた曲だって
何かを喜ぶ人達だって
全部許せてた
少なくとも今よりは
幸せがどういうものか知っていたし
人の笑い声を鬱陶しく思わなかったし
明日の存在だって受け入れられた
何を知ったか知らないけど
必要以上に人間を疑うようになった
信用しなくなった 見下すようになった
何があっても
「人間なんてこんなもんだし」
「ろくな奴がいない」って思ってたら
人間であることの価値がない気がしてきた
でも実際、どれだけ"出来た人間"でも
心の中に悪はあると思う
ただそれを隠せてるところが
"優しさ"であり"強さ"なんだろうな
まあこれは表面的な意見に過ぎないし
このせいで溜め込む人間は多いけど
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希死念慮が異質なものでも
自分から消えることはないと思ってる
これが諦めなのか知らないけど
何にせよ自分は自分の"死にたい"を
肯定しなきゃいけないな
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「肝心なのは人間であること、生きること」
ってどっかの誰かが言ってたけど
それで上手く生きれる奴だけそうしたらいい
自分にその志は無いし
誰かの信念を受ける気もなければ
自分の信念だってあるわけない
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「生きたい」も「死にたい」も
同等に重さと価値が付随するけど
何が意地悪かって
後者にはどうにでもできる
選択肢があることだよなあ
生きたい人間も死を選ぶことはできるけど
大抵の人は踏ん張るでしょ
でも死にたい人間は意のままに進めるし
留まることだってできる
死に前向きな人間はそのまま進むだろうけど
自分みたいにぐだぐだしてる奴は
その狭間でずっと往復繰り返してる
人間を創ったやつって相当に性格悪いし
いい趣味してる
早く死ねばいいなんてのは自分が一番思ってる
自分が一番自分にうんざりしてる