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ガネーシャが来てくれたら、私も変われるのにと思ってた自分をぶん殴りたい。

勉強漬けの日々に疲れて、なんとなく本棚を眺めていると、この本が目にとまった。そういえば、我が家にもあったなあと。はじめてドラマを見た時に、タイトルを聞いたことがあったのはこの本のせいかと。

以前、ドラマは見たことがあった。ドラマでも感動したし、ガネーシャの出す課題は今日からでも取り組めるようなものだったので、私も変われるかもしれないとワクワクしながら見入ったものだ。

ドラマ面白かったなあと思いつつ、ぱらぱらと中をめくると、おっと、内容全然覚えてないぞ。あんなにあの時私も変わりたい!明日から実践するぞ!と意気込んでいたにもかかわらず、私は変わっていないではないか。もう一度ドラマの内容を振り返り、あわよくばこの本が私を変えてくれるかなと思いつつ、この一冊を手に取った。

簡単にあらすじを説明すると、現状を変えたいけれど何もしていない、しがない会社員の「僕」が、突如現れたガネーシャという神様が毎日出す課題に挑戦していき、人生を変えようとしていく話だ。

結論から言うと、めちゃくちゃ良かった。「僕」と私が重なる重なる。そしてガネーシャの言葉がしみるしみる。個人的にガネーシャのあの関西弁がかなり味を出している気がする。脳内では完全に小栗旬と古田新太が喋っていた。

なぜ私が何度も変わりたいと思っても変われないのか、その理由がはっきりとわかった。途中でガネーシャが「僕」にこう言う場面がある。

「ワシが教えてきたこと、実は、自分の本棚に入ってる本に書いてあることなんや。ワシの教えてきたことには何の目新しさもないんやで。」「期待は感情の借金や。」「期待してる限り、現実を変える力は持てへんのやで。」

どきっとした。私も「僕」と同じだ。今までとにかく変わりたくて、思考力が上がる本だの、気配り上手になるための本だの、そういう本は購入してたくさん読んできた。本を買うとき、これで私は変われるんだ!と期待して買うし、読むも、全然続けられずいつの間にか忘れてゆくばかりだ。私が自分が変わることのできる期待を膨らませながら読み進めてきたガネーシャの課題も、きっと私の本棚の中にあるのだろう。

そしてガネーシャは大切なことを教えてくれた。

「人間が変われるのは、『立って、何かをした時だけ』や」

知ることではなく、自分で行動して、経験することだと。まず実行し、そして実行し続け、それが自分の一部となるまで続けること。

もちろん本がきっかけで変われることもあるだろう。でも、それだけじゃ絶対無理だ。自分を変えてくれるのは本じゃない。誰かでもない。

結局、自分を変えるには、自分の決断と自分の行動が必要なのだ。

本だけを読んで、知った気になる、何か得た気になる、なんとなくその時変われそうな気がする、それじゃ一生変われないんだ。

途中まで、ガネーシャが私のところ来てくれたら私も変われるのにな~と思っていた自分をぶん殴りたい。

すぐ何か実行に移したいと思って、本屋さんに行った。気になっていた2021年本屋大賞ノミネート作品の2冊を購入した。今までの私だったら、読書なんてしている時間はないと行動しなかっただろう。まして、今人生の中でも一番大変な時かもしれない。でも、今始めなかったら一生そう言い続けるような気がした。「やらずに後悔していることを今日から始める。」って、ガネーシャが言ったから。

そしてnoteに感想を書いている。これからは読んだ本は、自分の感情の記録と、言語化の訓練として、このnoteに残すことに決めた。こうやって書くことも自分の成長に繋がるといいなと思う。

そしてこの本は、12年前の父による書き込みで溢れていた。そして、12年前に同じ本を読んだ父に「人生変わった?」と問いかけると、「変わったよ。」と嬉しそうに答えてくれた。父は、12年前より遙かに幸せそうだ。「人生はこれからだ。」と自信に満ちあふれている。熱い。この本がきっかけで久しぶりに父と話し合えた。

そして、ガネーシャを通して、作者が読者に本当に変わってほしいと訴えかけているその熱量をひしひしと感じた。本の要所要所で、訴えかけてくる。そこではっと我に返る。とにかく刺さる。こうして本を読んですぐに行動できたのも、きっとそのおかげだ。

ガネーシャから、当たり前かもしれないが、なんでできないのか、どうやったらできるのか、そういうことを明確に突きつけられた気がする。

結局自分自身なのだー、頑張ろ!!

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