書くこと
書くというのは妙なものだと思う。よくわからないことを、わかりそうなところだけ拾いながら、つまりほとんどの部分をぼろぼろと地面にこぼしながら、それらしいことを仮にそうだという体で書き続けていくうちに、考えてもいなかったところに行きついたりする。それを読み返しているうちに、確信犯的な怠惰に流され、途中で落としてきた何かを省みる誠実さえ忘れて、それなりに納得してしまう。忘れないように書き始めたのに、終わってみれば忘れるために書いていたことに気づく。
言葉で拾えることなんて大したことではなく、自分には書くべきことなど、何ひとつない。
それは正しいのだけど、それでも何かを書き続けているうちに、何かが勝手に喋りだすときがある。一度でもそれを体験してしまったら、もうこっちに選択肢はないのだと思う。ほんとうのことはいつも気がついたときにはすでに始まっている。いくら考えてもわからなかったことがいきなり提示され、翻るはずがないと思っていたものが軽々と浮き上がる。
言葉を書きながら、言葉の外側に連れだしてくれる偶発性を含んだ何か。規定されたものに別の可能性を並べて一時的に無効化し、そのどちらでもない場所があることを浮かび上がらせる何か。それが、書くことだと思う。
もちろん、そんな幸運がいつも降ってきてくれるわけではないけれど、残念な日は残念な日なりに、まあそんな日もあるよなあとガラガラでも回しているような気分で、私は来年も文字を打ったり消したりしているのだろう。
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今年の夏にnoteを始めたときは、週に1回は更新しようと思っていたのですが、それにはまったく及ばず、恐ろしいほどのゆっくりペースになってしまいました。それでもこうやって、書きたいことを書きたいときに書ける場所を持てたことは、自分にとっては意味のある変化になりました。
そして、何かのはずみで、このページを見つけて読んでくださった方、ほんとうにありがとうございました。スキをつけていってくださった方もいて、そのひとつひとつがとても嬉しかったです。
言葉で書かれたものについて言葉で書くことは特に難しく感じて、今年は手を出さなかったのですが、来年は小説のレビューのようなものも書いてみたいです。
書くこともさることながら、読むというのも、なんていうか、なかなか野蛮な行為ですよね。正確な地図も与えられず、よくわからない手に引かれて謎の山に登らされ、川を渡らされて、なんとなく間合いがわかってきた頃に、その手をぱっと離されるような。
今年はお世話になり、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
2020年も美しい野蛮にたくさん出会えますように。
2019年12月吉日
すみぐる