すみぐる

本と音楽と写真が好きです。これまで30カ国ほど旅をして、一番好きな国はアイスランド。次に行ってみたいのはニュージーランドです。美しい景色を前に呆然となる一瞬のために生きています。

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風鈴が揺らす音と音楽の境界線(明珍火箸風鈴についての覚書)

 数年前に、都内のデパートのインテリア雑貨売り場で聴いた風鈴の音をときどき思い出す。4本の鉄火箸を吊るした独特の形をしていて、事前に知らなければそれが風鈴だという認識もなく通り過ぎていたかもしれない。それはテレビの情報番組でスティービー・ワンダーが絶賛する音として紹介されていた「明珍火箸風鈴」と呼ばれるものだった。  この風鈴に使われている火箸は、もとは甲冑師として姫路藩主・酒井家などにつかえてきた明珍家が茶室用あるいは家庭用として作ったものである。それが、昭和30年代に入

    • 1枚のイメージのための15000字 - ロベルト・ボラーニョ「雪」(『[改訳]通話』収録)ブック・レビュー

      知ってるとは思うが、朝の四時のモスクワの通りはとても安全とは言えない。外はまるで、パヴロフが電話をかけてきたときに見ていた悪夢の続きみたいだった。辺り一面の雪で、たぶん気温は零下十度か十五度だっただろう、しばらくの間、俺以外には人っ子一人見当たらなかった。 引用文献:ロベルト・ボラーニョ著、松本健二訳「雪」(『[改訳]通話』白水社、2014年、P.110) この「俺」とは、ロベルト・ボラーニョの短篇集『通話』に収録されている短編、「雪」の登場人物であるロヘリオ・エストラー

      • 自分の言葉だけで、自分のことだけを語ることの得難さについて - ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』ブックレビュー

         手にしてから初めて、こういうものがずっと欲しかったと気づくものがある。それまではそれなしで十分やってきたはずなのに、ひとたび手にしてしまうと、もうそれなしでは暮らしていけない。それは案外さりげないものだったりして、どうして今までなかったのかと不思議に思う。  ルシア・ベルリンの小説を初めて読んだとき、正確に言えば最初の一文を読んだとき、自分はずっとこういうものが読みたかったのだと思った。作者は2004年にすでに亡くなっている。同時代の作家に大きな影響をあたえながらも、生前

        • 生きている途中であることの軽やかな肯定 -「永遠のソール・ライター」写真展レビュー

          ソール・ライターの名前を知ったのは2年ほど前だ。特に目的もなく青山ブックセンターに寄ったとき、入口近くのイベントコーナーに、赤い傘をさして雪道を歩く人が表紙の本が目に入った。その赤は、湿った雪の匂いのする水分を含んだ赤で、そういえば赤というのはこういう色だったよなと思った。知っているはずのものを、初めて見るもののように見せてくれた。 その本をぱらぱらとめくりながら、写真もいいけど、ソール・ライターという名前がいいなと思った。ソールもいいしライターもいい。だからソール・ライタ

        • 風鈴が揺らす音と音楽の境界線(明珍火箸風鈴についての覚書)

        • 1枚のイメージのための15000字 - ロベルト・ボラーニョ「雪」(『[改訳]通話』収録)ブック・レビュー

        • 自分の言葉だけで、自分のことだけを語ることの得難さについて - ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』ブックレビュー

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          書くこと

          書くというのは妙なものだと思う。よくわからないことを、わかりそうなところだけ拾いながら、つまりほとんどの部分をぼろぼろと地面にこぼしながら、それらしいことを仮にそうだという体で書き続けていくうちに、考えてもいなかったところに行きついたりする。それを読み返しているうちに、確信犯的な怠惰に流され、途中で落としてきた何かを省みる誠実さえ忘れて、それなりに納得してしまう。忘れないように書き始めたのに、終わってみれば忘れるために書いていたことに気づく。 言葉で拾えることなんて大したこ

          書くこと

          金魚を調教した話

           むかし金魚を調教しようとしたことがある。そう言うと「金魚って調教できるの?」と驚かれる。もちろん金魚は調教できる。イルカやアシカのように難しい芸は無理でも簡単なこと、例えば輪くぐりなら1週間程度で学習成果があらわれる。  必要な材料は多くない。水槽、針金、それから金魚の餌だ。水槽は家庭用のものでいい。1週間で結果を出すなら、水槽はむしろ大きすぎない方がいいのだ。針金は20〜30センチもあれば十分だろう。それで直径6センチほどの輪を作り、あまった部分を持ち手とする。そして、

          金魚を調教した話

          かえるくんがいる方の世界で 『ドリーミング村上春樹』 映画レビュー

           村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』が出版されたのは、2000年だ。あれからもうすぐに20年になるなんて信じられない、などと白を切れたらいいのだけど、そういうわけにもいかない。まあそれくらい経ったのだろうなと思う。あっという間でもなかったし、100年くらい経った気がするわけでもない。20年は20年なのだ。  この短編集の登場人物たちは、1995年1月の阪神・淡路大震災に間接的に関わっている。直接的にではなくても、それがある人の生き方や、人との繋がり方を大きく変えて

          かえるくんがいる方の世界で 『ドリーミング村上春樹』 映画レビュー

          辺境のヘビーローテーション② Dominic Fike - King Of Everything

           ほとんど出来上がりかけていたものを、台無しにしたことがあるだろうか。私はある。1度や2度ではないと思う。そのせいか、完成間近になると急に手が止まることがある。あとは最後の仕上げだけだから、明日ゆっくりやればいい。そう言い訳をしてシンクを磨いたり、やけに凝った料理を作ったり、ずっと放置していた本をとうとう読み始めたりする。油断よりは恐れの方が大きい。ほぼ完成と、完成は明らかに異なる。だから怖くて腰がひける。 “Dominic Fike is ready to be very

          辺境のヘビーローテーション② Dominic Fike - King Of Everything

          白い夜

           「五目ごはん」の入ったプラスチック袋を、切れ目どおりに引きちぎって中をのぞくと、甘じょっぱい匂いが直線的に鼻の奥を突いた。記憶の中にある炊きたての五目ごはんの、あのふんわりと朗らかに広がっていく匂いとは違っていた。石化した半透明の米は、細かく砕いた氷砂糖のようで、中に埋まっているはずのスプーンを探して袋を揺すると、やけに大きな摩擦音がした。米というよりは砂利の入った袋を揺すっているようだった。乾いて縮んだ具材は原型をとどめておらず、油揚げ以外は判別がつかなかった。油揚げは、

          辺境のヘビーローテーション① The Barr Brothers - You Would Have to Lose Your Mind

           ある日アパートの隣室からハープをつま弾く音が聞こえてきたら君はどうする。私はじっと耳を傾けるだけで特に何もしない。バンドに誘うなんてことはしない。  1曲だけ好きな曲がある、というバンドがある。他の曲はそれほどでもないからバンドのファンとは言い難い。でもそればかりをループで聴くから、再生回数はかなりのものになる。異常な数字なので人には知られたくない。  SpotifyやApple Musicなど、音楽のサブスクリプションサービスが登場して、こういう1曲に出会えることが増

          辺境のヘビーローテーション① The Barr Brothers - You Would Have to Lose Your Mind

          人生の軌道を変えた一曲を求めてさまようサウダージな旅の記録 『ジョアン・ジルベルトを探して』 映画レビュー

           人生を狂わせるものは、ごくさりげないものだったりする。運命の女は絶世の美女であるとは限らないし、旅先ですれ違った人のたった一言で、二度とは戻れない選択をすることもある。あの映画を観ていなければ、いまごろはもっと穏やかな生活をしていたという人もいるかもしれない。面白いのは、同じ状況にあっても、まったく影響を受けない人もいるということだ。それは完全に一人称的な体験なのだと思う。 「他の人がどうだったかは知らないけれど、私にはそうでしかなかった」  これが幸せなことなのか、破

          人生の軌道を変えた一曲を求めてさまようサウダージな旅の記録 『ジョアン・ジルベルトを探して』 映画レビュー

          動かないことで増幅されるもの − ライカM3の彼と、Nikomatの父の思い出

          写真好きにもいろいろある。 いつ、どこで、なにを、どのように撮るのか。それらのひとつひとつがはっきりしている人もいれば、明確な理由などなく、歯を磨くような日常的習慣として写真を撮る人もいる。 私は写真にまつわる全般が好きで、たまに自分で撮ったりもするけれど、他人が撮った写真を見る方が好きだ。そして、それがフィルム写真だったりすると、20%ほど割り増しで見てしまう。 写真は最後に提示されるイメージがすべてだから道具は関係ないし、手間暇かければ、いいものができるというわけでも

          動かないことで増幅されるもの − ライカM3の彼と、Nikomatの父の思い出

          祖母の目

          八十歳をすぎてから、祖母の目は不思議な色で光るようになった。黒目が青みがかった灰色に変わり、やけに光を反射した。白内障の手術をして良くなったと聞いていたけれど、もしかしたらほとんど見えていなかったのかもしれない。その目は、目の前の私を通り越してその先へと向かっていた。 最後に会ったのは、祖母が金沢市内の病院に入院しているときだった。容態に不安があったわけではなかったけれど、なんとなく会いたくなって羽田から飛行機に乗った。 病院の談話室で少しだけ話をして、帰りに普通のお菓子

          祖母の目