「伝統的酒造り」のユネスコ無形文化遺産登録【日本酒の製造免許と新規参入について】

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(補記3)「伝統的酒造り」のユネスコ無形文化遺産登録


 「伝統的酒造り:日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術」(Traditional knowledge and skills of sake-making with koji mold in Japan)がユネスコ無形文化遺産に登録されました。https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94142301_01.pdf

https://ich.unesco.org/en/RL/traditional-knowledge-and-skills-of-sake-making-with-koji-mold-in-japan-01977

 この「伝統的酒造り」の意義等については、日本政府のユネスコへの提案書(Nomination file)において一定の説明がなされています(今回の登録は、この提案書の内容を踏まえて行われたものです)。https://ich.unesco.org/doc/download.php?versionID=74150

1.日本酒の製造免許との関係

 ユネスコ無形文化遺産の登録は、「無形文化遺産の保護に関する条約」に基づき、もともとは無形文化遺産を衰退や消滅の危機から国際的に保護するための一環として行われてきたものです。登録された無形文化遺産については、当該国は「保護措置」を確保することが求められます。
 こうしたことから、歴史と伝統のある既存の酒蔵を新規参入規制により保護すべきとの意見もあり得ますが、日本政府の提案書では、保護措置として、技術の維持・研究、伝承者育成、普及啓発等を挙げる一方で、新規参入規制には言及していません。
 保護すべきとされているのはあくまでも酒造りの伝統的な技術です。酒蔵の数が減少を続ける中では、技術の継承・発展のためには、むしろ、製造免許の新規取得を広く認め、新規参入を促進すべきとの意見も多くあります。伝統には保護のみでなく、何よりも革新の連続が必要です。

 また、ユネスコ無形文化遺産への登録に際しては、人権や持続可能な開発(sustainable development)との適合性も求められています。
 こうした中で、日本酒の製造免許の新規取得が一律に認められていないことについては、先述したとおり、憲法上の職業選択の自由(営業の自由)や、スタートアップを奨励するSDGsとの整合性が、今回の登録との関係でも、今後とも引き続き論点となり得ると考えられます。 
 また、ジェンダー平等に関し、提案書は、「古代ではsakeは巫女によってのみ造られた。sakeの需要の増加に伴い、男性のみが造り手となった。20世紀以降は酒造りは両性に開かれている(open to all genders)」
と説明しています。
 こうしたジェンダーの歴史の説明に議論の余地があり得ることはさておき、今なお日本酒の製造免許の新規取得が一律に認められていない状況では、ジェンダー以前に、そもそもの酒造り自体が「open」とは言い難いとの意見もあります。

(参考)
 そもそもの「伝統」ということについては、例えば、樂焼の14代・覚入が「伝統とは踏襲ではない。己の時代を生き、己の世界を築き上げねばならない」と言い残しているのが、非常に示唆的です。
 樂焼のウェブサイトでも、「伝統とは単に守り伝えていくものではありません。時代の目を通して伝統の中に見据える何か。その視点によって、伝統は新たな時代に生まれ変わります」と記しています。https://www.raku-yaki.or.jp/history/successive.html

2.その他の論点

(1)「伝統的酒造り」とは何か

 ユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、正確には、英語の正式名称(Traditional knowledge and skills of sake-making with koji mold in Japan)にある通り、酒造りの伝統的な「知識と技能」という無形の文化遺産です。
 従って、日本酒、焼酎、泡盛という個々の酒類が無形文化遺産に登録されたわけではないこと、また、無形文化遺産登録の趣旨に照らし、登録の過度な商業利用はすべきでないとされていることに留意が必要です。

 なお、「和食」についても、英語の正式名称が「Washoku, traditional dietary cultures of the Japanese, notably for the celebration of New Year」(和食:日本人の伝統的な食文化―正月を例として)とされているように、新年のお祝い(餅つき、おせち等の社会的慣習)をはじめとする伝統的な食文化が登録されたもので、料理や食品そのものが登録されているわけではありません。
 これは、例えば、フランスの「美食」、韓国の「キムジャン」、ジョージアの「クヴェヴリ製法」等の登録でも同様です(フランス料理、キムチ、ジョージアワインが登録されているわけではありません)。

 こうした「伝統的酒造り」の具体的な定義や内容については、日本政府のユネスコへの提案書では、必ずしも一義的に明確となっているわけではないのですが、
「酒造りの技術は古代以来職人の経験の蓄積により発展してきた」
「sakeは穀物と良質な水で造られる日本のアルコール飲料であり、日本文化に深く根ざしている」
「重要な特徴は原料中のデンプンを糖化する麹菌を使用することにある」
「担い手である職人は基本的に手作業で麹菌を使用する酒造り技術を修得してきた」
「職人の仕事が酒質を決める」
「酒造りでは廃棄物はほとんど出ない」
等と説明しています。
 また、提案書は、こうした職人の「伝統的製法」に対して、「発酵プロセスが自動化されている近代的な工場における今日の大量生産」を明確に峻別するとともに、伝統的酒造りは
地域の自然や気候を反映して発展してきた」
職人と原料提供農家を含む地元住民とを結びつける
と説明し、地域性も強調しています。

 ちなみに、ユネスコへの提案の前提として、国内で「伝統的酒造り」を登録無形文化財に登録した際の文化審議会の答申では、もう少し具体的に説明しています(なお、これに対し、無形文化財のうち「重要なもの」は「重要無形文化財」に指定されています)。
 すなわち、
「伝統的酒造りは、近代科学が成立・普及する以前から造り手の経験の蓄積によって築き上げられてきた手作業のわざを指す」
「わざの中心は、並行複発酵と呼ばれる発酵法を高度に調整することで目的とする酒質を作り出すことにあり、その実現のために行われる原料の前処理こうじ造り、及びもろみ管理がわざの主要な内容となる」
とした上で、具体的には、「手作業」による水分調整、製麹・発酵管理や、「水以外の物品を添加しないこと」等を挙げています。https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/93480101_01.pdf

 また、文化庁広報誌では、登録無形文化財の「伝統的酒造りのわざ」として、
「並行複発酵を適切に進め、目的とする酒の味や香り等を、水以外の物品の力を借りることなく実現すること」
等とも解説しています(これに対し、現在の酒造りでは、醸造アルコール、糖類、酸味料、酵素剤等が使用されることも少なくありません)。https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/news/news_005.html

 こうした提案書等の説明を踏まえると、ユネスコ無形文化遺産に登録された「伝統的酒造り」の要諦は、具体的には、
麹菌を使用する伝統的技術であること
職人の手作業により、目的とする酒質を作り出すこと
地元産の穀物と水を原料とする(水以外を添加しない)こと
地域文化に深く根ざしていること
等にあるというのが、提案書の基本的認識であるように見受けられます。
 従って、麹菌を使用して酒を造れば「伝統的酒造り」だということではなく、少なくとも上記のような要諦(特に、職人の手作業であること、地元産の原料(穀物)を用いること、水以外を添加しないこと)には十分な留意と理解が必要ではないかと考えられます(例えば、現在、日本酒の出荷量の7割以上は非純米(醸造アルコール添加酒)です(国税庁「酒のしおり」(令和6年6月))。
 他方で、提案書等では明示されていませんが、どぶろくはsakeの原点であり、特区も含め、各地で行われているどぶろく造りも上記のような「伝統的酒造り」に該当し得ると考えられます。むしろ、どぶろく造りこそが「伝統的酒造り」かもしれません(なお、今回の提案書では、濾過や蒸留についての説明は特段ありません)。

 いずれにしても、ユネスコ無形文化遺産として登録された技術とその価値を真に維持・継承、普及啓発していくためには、ユネスコに登録された「伝統的酒造り」とは具体的にどういう酒造り技術なのか「伝統的酒造り」によって造られるsakeとは具体的にどういうsakeなのか、そこにどういう価値があるのかについて、玉虫色ではなく、また、各関係者が思い思いに語るのではなく、ユネスコへの提案書で行った対外的な説明を踏まえ、具体的・統一的に明確化され、国内外の関係者や消費者等の間で正確に理解されることが重要ではないかと考えられます(それがなければ、ユネスコ無形文化遺産として具体的に何を維持・継承しようとしているのかよく分からないことになってしまいます)。

(2)sakeとは何か

 日本政府の提案書は、sakeについて、
「Sake, Japanese alcoholic beverage made from grains and quality waters」
「various kinds of sake, such as nihon-shu (brewed liquor), shochu and awamori (distilled liquor)」
と説明しています。これを踏まえ、ユネスコのウェブサイトでも、
「Sake is an alcoholic beverage made from grains and water」
と説明されています。
 つまり、sakeは穀物と水から造られる(なお、芋や黒糖は穀物に含まれないことには留意が必要です)、sakeには日本酒、焼酎、泡盛等があるという説明です(本みりんについては、別途、「by-products such as mirin」(副産物)との説明があります)。 

 他方、日本酒・焼酎の業界団体である日本酒造組合中央会の英語名称(Japan Sake and Shochu Makers Association) がsakeとshochuをあえて並列させているように、従来は、(日本語の「酒」「酒造」が清酒も焼酎も指し、更には洋酒まで全て包含するのとは異なり)sakeとshochuは別の酒類とされてきました。https://japansake.or.jp/sake/en/jss/

 実際に、同中央会の英語ウェブサイトにおいても、これまで、
「Our members include producers of sake, honkaku shochu, awamori, and hon mirin」
「Sake is an alcoholic beverage made from rice, koji, and water」
「On the contrary to what many people may believe, it is not a distilled spirit」
と記載しているように、sakeを(穀物全般ではなく)米と麹と水から造られる清酒として説明するとともに、(海外でsakeが蒸留酒であるとの「誤解」があることを念頭に)sakeは蒸留酒ではないことを強調しています。
https://japansake.or.jp/sake/en/basic/how-is-sake-made/

 また、国税庁が指定し、日本国内のみならず、国際協定により米国やEU等でも保護されている地理的表示(GI)の「Japanese sake」も、日本酒のみの呼称です。https://www.nta.go.jp/taxes/sake/hyoji/chiri/pdf/0020006-141.pdf

 これに対し、日本政府の提案書を踏まえると、清酒について、英語での固有の呼称は存在しないことになり、国際的にsakeと言う場合、それが清酒なのか、焼酎なのか、一義的には不明ということになります。

 このように、ユネスコ無形文化遺産として登録されたsake-makingのsakeとはそもそも何か、という基本的な問題について、日本政府の提案書(sakeには日本酒、焼酎、泡盛等がある)と、業界等による従来の説明(sakeは清酒あるいは醸造酒であって、蒸留酒ではない=sakeにshochuは含まれない)や地理的表示の考え方(Japanese sake=日本酒)との間で本質的な矛盾が生じているように見受けられます。
 この点については、その時々で便宜的、多義的な説明がなされることで、内外の事業者や消費者等の混乱や誤認を招いたり、ユネスコ無形文化遺産としての価値を損なうこととならないよう、一貫性、整合性のある一義的な説明が分かり易く行われることが必要ではないかと考えられます。

(備考)
 日本酒造組合中央会の英語ウェブサイトにおいては、焼酎に関して、これまで、「How is Shochu Different from Sake ?」(shochuはsakeとどう違うのか)として、以下のように説明しています。
「First and foremost, shochu is a distilled alcoholic beverage whereas sake is a brewed alcoholic drink made from rice」
「Furthermore, several base ingredients are suitable for shochu production, not just rice, but also sweet potatoes, barley, and brown sugar」
https://honkakushochu-awamori.jp/english/professional/shochu-production-method/shochu-difference-other-spirits/

 また、酒類総合研究所においても、これまで、「INTRODUCTION to SAKE」という英語リーフレットで「Sake is an alcoholic beverage made from rice through fermentation and filtration」「Generally, alcoholic content in sake is about 15% (v/v), which is a little higher than wine」とする等、sakeを清酒として説明しています。
https://www.nrib.go.jp/sake/pdf/sake_leaflet_e.pdf

https://www.nrib.go.jp/English/sake_info/sake-essentials/whats-sake/

 国際的にも、例えば、世界最大の酒類教育機関であるWSET(Wine & Spirit Education Trust)のsakeの講座では、sakeを日本酒として教えています(sakeの原料は(grainsではなく)riceと説明しています)。https://www.wsetglobal.com/media/11712/wset_l3sake_specification_en_aug2022_issue21.pdf

https://www.caplan.jp/wine/about/sake/index.html

 他方、shochuについては、sakeではなく、スピリッツの講座の中で説明されています(shochuの原料については、「Unmalted grains (short grain rice, long grain rice, barley), sweet potatoes, sake lees, brown sugar」と説明しています)。
https://www.wsetglobal.com/media/11740/wset_l3spirits_specification_en_jul2022_issue21.pdf

 今回の日本政府の提案書を踏まえると、各所でのこうした従来の説明は書き直しが必要なのではないかとも思われます。(了)