休職一週目 | 無限睡眠編
2024年1月の頭から、私は適応障害により休職している。とりあえずの休職期間は1ヶ月間。やっていたことや考えたことを、週次で記録に残していこうと思う。
人間ってこんなに眠れるんだ
休職直前の有給期間も含めると、とにかくひたすらに睡眠をやっていた。昼頃までは布団から出てこず、お昼ご飯を食べたと思ったらまた布団にもぐり、夕方のそっと起きてきて夜ご飯を食べてまた眠る。15時間くらい眠ってたんじゃないかと思う。
産業医には、「脳は眠ることで回復するので思う存分眠って良い」と教えてもらっていたし、インターネットの休職体験記にも「最初はとにかく寝ていました」とよく書かれていたので、安心して一週目の目標を「睡眠」と掲げてたくさん眠った。
最初の頃は、眠りにつく前、どうしても仕事のことを思い出してしまっていたが、徐々にそれも遠のいていった。なんせ全ての仕事を他人へ引き継いでいて、他人が動かしてくれているのだ。私の出る幕がない。
私の仕事は「脳みそで考えること」がメインなので、いい意味でもわるい意味でも、業務時間以外にも仕事のことを考え続けられてしまうところがある。そこに私のクソ真面目ではりきり屋さんな性格も作用して、終業後も週末も、常に脳内で仕事をしてしまっているような状態が慢性化していた。社会人になって約4年、はじめて仕事のことを考えなくて良いお休みだ、と新鮮な心持ちだった。
脳みそから仕事がいなくなった効果
まず、同じことを言うようだが、ふとした時に仕事の思考が始まるアレがなくなった。あの難しいテーマどうやって進めようかな、とか、あの人にあれ伝えなくっちゃ、とか、私の脳みそはどこかから勝手に思考がわいてきて勝手に考え出すクセがあったのだなと、それが無くなってから気付いた。
そして、それがほとんど全くなくなったこの一週間は、「生きてる」と感じられる時間がたくさんあった。音楽も聞かずにふらっと散歩をしている時の暖かな日差しや、お風呂あがりにゆっくりボディクリームを塗る時のひんやりした感覚、お香を焚いて毛布にくるまり本を読む時間など、うまく言葉にできないが、そんな"ゆっくり"した時間に「生きてる」と感じたのだ。そういえば自分という人間は、ずっと自分という人間で生きてるんだったな、と思った。
働いている時には、そういった"ゆっくり"をできなかった。常に、妙に焦った状態だったし、エネルギーが足りなかった。復職しても、"ゆっくり" を意識して、自律神経を整えて、自分の人生に自分で責任を持てるような、自分が自分に落胆しきらないような生活をしていけると良い。
言葉を綴ることを新たに覚えた
この一週間、とにかく書いて書いて書きまくっていた。もともと、ぐるぐるとする思考を紙にペンで吐き出す習性と、アプリを使って毎日簡単に日記をつける習慣はあったが、小さな出来事や気持ちをTwitter (現X)に記すこと、どっしりと書きたいテーマをnoteを使って形にすることが、そこに新しい嗜みとして追加された。絵日記を書いた日もあったし、ジャーナリングでマインドフルネスを目指すワークができる書籍も買った。
言葉を綴ることは私にとってどうやら、脳みその片付けになっているようだ。脳みそが片付いてさっぱりとした時に、ほかの言葉をまたそこにしまっていきたくなる。本を読みたい、と思うタイミングが以前より格段に増えたし、文字以外の情報も自分の中に入ってくるようになる感覚があった。
また、思考や出来事をしっかりとした形にする作業と、それを側から眺めることは、私をより私たらしめてくれるとも思う。私への理解と愛着が深まっていくのは、今の私に必要な変化な気が、なんとなくしている。
そして、ものづくり欲を満たすことにも繋がっていて、出来上がったものたちを愛でては、むふふ、と口角を震わせていたりもする。自己満足だからこそ味わえる、自分の心のわくわくを大切にできている感じが好きだ。
🛌🛌🛌
こうして振り返ると、おやすみが始まる前に想像していたよりは順調におやすみをできているばかりか、新しい楽しみまで見つけられている。他にも、マリオやったり、お散歩したりと、睡眠を最優先にしながらも色んなことをできた。案外暇しなかったので、働いている人は働いているだけですごいしえらいと思った。二週目も健やかを目指していきます。