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自分の背中を押してくれたのは、昔書いた日記だった。
※この企画は先日投稿したピース又吉さんのYouTubeチャンネルの百の三コーナーのオマージュです。
テーマ「20歳の自分に伝えたい100のメッセージ」
先日書いた20歳の自分に伝えたい100のメッセージを、自分なりに少しずつ分解していきます。自分の頭の中で思いついて書いたのだからなにか理由があるのだろうと思って。(そりゃあるだろう)
今日分解していくのは1番目に書いたメッセージ。
1. 日記を毎日書こう
お付き合いくださいませ。
1 日記を毎日書こう
まず記念すべき1番目のメッセージ。「日記を毎日書こう」
日記、毎日書いている方いますか?
noteやブログを毎日更新する方は多くいますが、日記はどうでしょう。しかも、ぼくはとりわけ「手記」での日記にこだわっています。
noteやブログは忘備録としても役に立ちますが、なんだかんだベクトルが外に向いています。一方日記は、ベクトルは自分の内部へ向いているので、いろいろ振り返ったり気持ちを整理するのに便利なんです。
誰にも見られないから、どんなに雑な走り書きでもいいし、どんなに恥ずかしいことでも構わない。読むのはぼくだけだから。
体裁を一切整えずに、今の気持ちを文字にして紙に書くことで吐き出す。この動作がぼくを支えています。
後から知ったことなんですが、これは心理学用語だと「外在化」というそうです。
たしかに、「不安」や「悩み」は目に見えないのでストレスですが、紙に書くことによって可視化されるので、精神的にもきっとよいことなのでしょう。
***
実は18歳くらいのときから、日記なるものをはじめていました。そこから現在30歳になるまで、ず〜っと書いているんです。でも、いままでは「毎日」ではありませんでした。
飲み疲れて眠った日とか、一日中ダラダラしていて書くことがない日とかは書かず、「なにか思いついたときだけ」「気分が乗ってきたら」というルールでゆるゆると書いていました。なので書くときは書くし、書かないときは書かない。それでも一週間以上空けることはありませんでした。
昔の日記を見ていると、いろいろと思い出します。
5年前に書いた日記を棚から出して見てみると、ある特定のページだけカピカピになっているのがあります。びしょびしょに濡れていて、ボールペン字がにじんで、解読不能の文字がほとんどです。
これ、僕の涙と鼻水で濡れているんです。覚えています。(ひかないでくださいね)
仕事で相当悔しい出来事があって、泣きながら書いたんです。こんなことがあった。あんなことを言われた。悔しい。どうして自分は...と、泣きながら書きなぐって、愚痴を書いたり、分析しているんです。
こんなに一生懸命、仕事と向き合っていたんだな。
こんなに歯を食いしばって頑張っていたんだな。
そんな過去の自分に、背中を押されることがよくあります。
過去の日記って、そんなに見返すことはありません。しょっちゅう振り返るほど、人生は暇ではないからです。
それでも、ひょんなときに振り返って見てしまうタイミングがあります。
過去の自分の感情の形跡、そこにたしかにあった自分の人生を、文字で見つめる。
ある人は、「何気ない日常を書いている日記も、100年後には立派な資料になっている」と言っていました。
僕の記しているこの日記は、世のため人のためにはならないだろうけど、きっと未来の自分の背中を押す資料になるのだろうと思っています。
実際、振り返って読んでみると、「あぁ、このときの自分ってこんなこと考えてたんだ、若いなぁ未熟だなぁ」「このときもこんなことで悩んでいたんだ」なんてよく思います。自分の精神的な成長も垣間見えるのです。
今をはかる試金石は、他人ではない。昔の自分が教えてくれることはたくさんある。
だからこそ、20歳の自分に伝えたい。日記を書こう。できれば、毎日。
なんでもない一日も貴重で、大切で、愛おしい。そう思える日が来るのだと伝えたいんです。
いろんな紆余曲折を経て、今日を生きている。
地に足をつけて前を向くために、今日も明日も、ぼくは日記を書くんです。
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