見捨てられる体験と複数股の話
こんばんは。
とても納得のいく話を読んだので、ちょっとご紹介します。
河合隼雄の『カウンセリングを語る』です。
この本は、河合隼雄の講演をまとめています。河合隼雄がカウンセラーとして感じることや考えていることの講演です。
この本で、人は見捨てられないことを前提として生きているということが書かれています。赤ん坊の頃から、見捨てられないことを少しずつ経験している。赤ん坊の頃は泣けばお父さんお母さんがすぐ来てくれる、幼少期は「怖い」と言えば「よしよし」と言ってくれる。といったように、人間は、少しずつ見捨てられない経験をしているわけです。ところが、ときたまそうじゃない人がいます。「お前なんか生む気はなかった」みたいなことを言われて育っている人がいるわけです。多少のトラブルはあれどなんだかんだで完全に見捨てられることはあり得ない状態で育った人と、世の中完全に見捨てられることもあり得る状態で育つ人では、考え方は完全に異なりますよね、という話です。
これはなんかよく分かるぞとわたしは思いました。わたしは、どちらかというと完全に見捨てられることはあり得ると考えている人というのもありますし、世の中を見ても、n股(nは2以上の整数)している人はだいたいこれだと思っています。n股する人に、自分に自信があるから相手から勝手に寄ってくる、みたいな言い方をする人がいますが、自らに自信があるなら二人以上とお付き合いしませんよね。相手の了解なく複数人と親密な関係になる行為は相手を傷つける行為ですから、普通しないわけです。自信があるなら一人だけを選んでほかの人はお断りすればいいのです。それか、一人目の了解を得るかです。しかし、自信がないから二人以上とお付き合いするわけです。そうすれば、誰かと別れても、まだ自分には恋人がいる、そういった状態になります。
以前、n股する人から「n股するのは自らに自信があるから、それをするのは当たり前」みたいな話をされたときに、わたしは「自信があるならn股なんてしないでしょ、だって自信があるなら誰かと別れてもすぐに別の人と付き合えるから、付き合っている人が長期間途切れることはないはず」と言ったら割と真面目にキレられたことがあります。その人がキレている姿はその一度しか見たことがありませんね。みなさんは、相手にn股されているなら別ですが、n股している人にそのようなことを言うのはやめましょう。そのようなことを言ったときにあなたの身にどのような危害が及んでもわたしは知りません。これは、相手の傷をえぐる話ですから。
まあ、今日はそんなところです。いつものように話が発散してしまいました。それではまた。