「そうだね」がずっと欲しかった
呆気なくって満たされなくて莫迦みたい苦い
「そうだね、ごめんね」という小さな共感をずっとずっと渇望していたはずなのに、いざ目の前にすると私は幸せになれなかった。
理由はうっすら、知っている。
「わかって」ほしかったけど、私は「わからせた」から。歩み寄って欲しかった。理解しようとしてほしかったんです、本当は。
だから、悲しくて苦しい。
自分のそんな気持ちを諦めたこと、諦めたとたん状況が少し変わりはじめたことがとても悔しくてやるせないです。
こんな、こんな、呆気ないものな