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これが最後の晩餐だとしたら 〜「何を食べるか」ではなく「誰と食べるか」を大切にしたいと教えてくれた友達の話〜

こんにちは。透です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を知っていますか?

わたしは、子供の頃に美術の教科書を見ながら、「あ〜、明日からご飯が食べられなくなる人達なのかな」と思っていました💦

そんな絵ではなく、「最後の晩餐」は「12使徒の中の1人が自分のことを裏切る」とキリストが予言した時の絵だそうです。
(エヴァンゲリオンではありません…)


今回の記事は、わたしが勘違いしていた方の「最後の晩餐」(これが最後の食事だとしたら…)から、「食事」をテーマに書いていきたいと思います。

みなさんは「最後の晩餐」に何を食べたいですか?

「最後の晩餐」は誰と食卓を囲みたいですか?

そもそも、わたしにとっての食事とは…



人生には、あと何回の「食事」があるのだろう

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大学生の頃、先生から教えてもらったことの中で印象に残っているものがいくつかあります。

その中の一つが、

「みなさんは、これから就職をして一人暮らしをしたとします。あと何回親に会うことができますか?

という話です。例えば、23歳になる年に社会人になり、一人暮らしを始めたとします。実家が近い人はまだしも、地方から東京に出てくるような人が帰省するのは「ゴールデンウィーク」や「お盆休み(夏季休暇)」、「年末年始」といったところでしょうか。

そうすると、単純計算ですが親に会う機会は1年で3回ですね。
親が30歳の時に自分が生まれたとすると、100歳まで生きても、約150回だとわかります。

「150回です」

子供の時、学生の時は365日会っていた親に、あと150回しか会えないのだと、その時の先生の話で気づくことができました。この時から、人と会うこと、人と「また会える」ことの大切さを感じるようになりました。



では、「食事」はどうでしょうか?

例えば30歳のAさんは、朝昼晩と1日3食しっかりと食べているとしましょう。そして100歳まで生きたとすると「約76,000回」です。

「7,500回か…、まあ、けっこうな回数あるね…」

と思った人もいるのではないでしょうか?

しかし、この数字は100歳まで健康に好きなものが食べれるとしたらという前提での数字です。

次に、同じく30歳のBさんは1日2食で70歳まで生きるとします。そうすると「約30,000回」です。一気に半分以下になりましたね。

さらに、またまた30歳のCさんも70歳まで生きるとします。このCさんが「誰かとご飯を食べる」のは何回でしょうか

もしかしたら、朝ごはんを抜く日があるかもしれません。

仕事が忙しくて家族が寝てから帰る日もあるかもしれません。

35歳で脂っこいものがダメになるかもしれません。

50歳でアレルギーが発症するかもしれません。

70歳になった時には入れ歯になっているかもしれません。

そう考えると「ちゃんとした食事」は思った以上に多くはなく、「誰かと食べるご飯」はもっと少ないのでは、と思います。


みなさんは昨日の夜は何を食べましたか?

一昨日、その前の日は何を食べましたか?

誰とご飯を食べましたか?



これが最後の晩餐だとしたら

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小さい頃、友達との会話の中で「最後に何を食べたい?」と聞かれたことがあります。その時、何と答えたか覚えていません。今聞かれたら何と答えるのか…。

「好きな食べ物は?」と聞かれたら「雲丹やイクラ、シャトーブリアン、お寿司、唐揚げ、ケーキ…。十人十色、みなさん好きなも食べ物があると思います。しかし、「最後に何を食べたいか」と聞かれて、単純に好きな食べ物をあげるかと言われると、「そうではない」と思う人もいるのではないでしょうか?

親の作ってくれた…

奥さんの愛情こもった…

ずっと通い続けたあの店で…

もちろん、「好きな食べ物」を選ぶこともいいと思います。「何を食べるか」も大事ですが、わたしは「誰と食べるか」を大切にしたいと思っています。

「最後の晩餐」は、大切な人と、大好きな人と食卓を囲みたいと思っています。

わたしがそう思うようになったのは、友達との会話がきっかけでした。



「何を食べるか」ではなく「誰と食べるか」

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以前、友達と食事をしている時にこんな話をしてくれました。

「食事は食べられるものなら何でもいい」という人がいるけど、自分はそうは思わない。だって食事は三大欲求の一つに数えられるくらい大事なものだよ?
たしかに「栄養を摂取する」と考える人もいるかもしれないが、そうじゃないでしょ。今、目の前にある食事が、当たり前だと思っているからそんな風に感じてしまうんだよ。
当たり前だと思っていたものは、いつの間にか無くなっていて、尊いものだったとわかる日がくる。だからこそ、一回一回の食事を大事にしたいんだよね。

さらに友達は、こう続けました。

…。自分は…、その大事な食事を大事な人と一緒に食べたいと思っているんだよね。美味しいものを食べたら幸せ?好きなものを食べたら幸せ?
大切な人と食べるから幸せなんだよ。大好きな人と、一緒に笑い合える人と食卓を囲むから楽しいんだと、そう思うよ。

わたしは、何かわからないけれど衝撃を受けた気がしました。そこまで考えたことが無かったからです。
この日から、わたしの中の「食事」の価値観が変わったことは言うまでもありませんね。



おいしいはたのしい

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今回の記事を書こうと思ったきっかけは、noteのコンテストが目に入ったからです。こういう企画があるのは素敵だと思います✨


「おいしい」は、食べる人もつくる人も、誰もが笑顔に、たのしくなる言葉です。
だれかのためにつくった料理に「おいしい」と言ってもらった思い出や、行きつけのレストランのお気に入りの味、こだわりのレシピなど、食べる人もつくる人も、「おいしい」が「たのしい」につながった経験をもっているのではないでしょうか。
引用:https://note.com/info/n/n4633f0328564


上記の文章を読んだ時に、わたしの頭の中に出てきたのは、ただの「おいしい」ではなく、誰かに「おいしい」と伝えた時のイメージでした。
一人でご飯を食べている時にも「おいしい」と思うことはありますが、言葉に出すことは少ないのでははないでしょうか。

「おいしい」は「たのしい」の一方通行ではなく、「おいしい」は「たのしい」であり、「たのしい」からこそ「おいしい」と感じるのだと思います。

自分の作った料理を「おいしい」と声に出して食べてもらえた時

大切なあの人と「おいしい」と口に出しながら食事をした時

「おいしい」と伝えた時の大好きな人の笑顔を見た時

そんな何気ないひとときに幸せを感じ、その一言に嬉しさを感じ、その笑顔に喜びを感じ、その時に「たのしい」と感じます。
そして、より一層「おいしい」と感じると思います。

「おいしい」は「たのしい」く、「たのしい」は「おいしい」です。


最後に

今回の記事は、最後に友達がいった一言で終わりたいと思います。

「自分は、そう思うんだよね。だから、お前と食べるご飯は美味しいよ。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
もし、少しでも良いなと思ってもらえたら幸いです。また、これからの記事も楽しみにしていてもらえればと思います😊

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