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中華菜館 水晶
2020年9月7日 21:13
業界の相場的にはどうだったのか、知る由もありませんが僕の新卒1年目の手取りは11万円でした寮住まいで、休みの日以外は賄いも有ったし、コックコートは会社負担でクリーニングもしてくれる貯金出来るほどでは無かったものの、生きていくのに苦労した覚えはないそれでも初任給の殆どを、包丁に使うのは勇気が必要だったと思う8万円の杉本包丁中華料理店に勤める料理人で「杉本」の名前を知らない人は
2020年8月24日 20:24
生意気な若僧だった自覚はあるそれでも自分を保つ事が出来るくらいの努力はしたつもりだったそれでもどうにもならない日はやって来る同期や先輩に睨まれるのにも慣れて来たもののそれでも面白がって可愛かってくれる奇特な先輩が2人自分より2年早く入社した同い年の先輩と副料理長馬鹿で生意気な小僧が、つまずきながらも何とかやって行けたのは2人のお陰だった職場で2回目の春を迎えた時期
2020年8月23日 15:25
今思えば、随分と平均年齢の若い店だったように思う戦後焼け野原の大阪で先代社長が一本独孤で立ち上げた中華料理店は、60年の時を経て10近い店舗を抱えていたその中で、新しい試みを20代中心の若いスタッフでそんな店に配属されたものの会社内のパワーバランスの複雑さに翻弄される日々が続いたワンコインランチとまではいかないまでも、安価なメニューを並べる店舗が中心の会社で客単価700
2020年8月20日 14:18
「お前は指が長いから、職人向きやな」事ある毎に繰り返した父の気持ちが今なら少し理解も出来る戦前から繋がれた伝統を、自分の代で終わらせる無念さは有っても時代に取り残された職業に向いているとは言えなかったのだろう勉強が出来ないわけでも、運動神経が鈍いわけでもなかったしある程度の努力でそつなくこなすが、トップには立てない器用貧乏は自覚していたものの、それほど嫌悪感は無かった
2020年8月19日 11:45
どうしても、早く「長」になりたかった。初めてのアルバイトは、地元のファミレス高校部活のスキをぬって稼いだ無けなしは、物販の販売目標を名目に、恐喝まがいで掠め取られた調理師学校に通いながら勉強半分で働いた店では、意識の高さ故の使いづらさに辟易した上司から解雇を言い渡され学生最後のアルバイトでは「ライブが近いから」と、閉め切った店長室で愚か者がスタッフの「Help!」を老獪なリフで
2020年8月18日 13:35
聞いた相手が納得しやすいテンプレートを探すかそれとも多少の誇張を交えてでも起伏のある物語に仕上げようか・・・どちらにしたって聞き手にもメンツが有る「子供の頃、何の気なしに作ったカレーを両親が褒めてくれて・・・それが切っ掛けかもしれないですねww」嘘を吐いたつもりはないけど、たったそれだけで人生の方向を決めるほど短気でもない本当の理由なんて「なんとなく」以外の何物でもない