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佐々涼子さん『エンド・オブ・ライフ』。どう生きるか、どう死ぬか。

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

鴨長明『方丈記』

鴨長明『方丈記』の冒頭、みなさんだいたいの意味を把握されていると思います。この『エンド・オブ・ライフ』の始めに「方丈記」の一節が出てきます。
この世はこんなに儚くて、どんな身分の人も最終的には天に登っていくけれど、下界にいる私たちは、それでも欲をもって生きざるをえない。それを綴った随筆が『方丈記』です。

『エンド・オブ・ライフ』は京都・上賀茂神社近くにある「渡辺西賀茂診療所」が舞台。在宅医療に同行取材したルポタージュがひとつの柱となっています。そこで働く男性看護師が若くしてがんになります。彼の言葉と行動の記録がもうひとつの柱です。
佐々さんの死生観が形成されゆくできごとが数多くでてきます。
描かれているのは2013年から2019年のこと。

著者はノンフィクションライターの佐々涼子さん。『エンジェルフライト』や『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』など、人の死んでいくさまと遺された人々の生きる意味を問うたルポタージュをたくさん手掛けておられます。
佐々さんは2024年9月、闘病の末50代半ばで亡くなられました。

何年も前に買ったものの読めずに本棚に入れていました。だけど、とうとう佐々さんが亡くなってしまった。覚悟を決めて読みました。


◎在宅医療は希望なのか?

「緩和治療」は終末医療だと思っている人が大半だと思います。佐々さんはその思い込みに修正を加えます。

「日本人は我慢強い。今でも多くの人が耐えがたい痛みに苦しんでいるという。しかも、多くの人は、緩和治療が始まると、死が近づいているのではないかと不安になる。だが、緩和治療はより良く生きるための方策である。」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

緩和ケアは、病気に対して打つ手がなくなった医療者が痛みを緩和するだけではありません。痛みを和らげて気持ちが落ち着けば、人は家族や近しい人と楽しく食事をしたり、思い出づくりに出かけたりとやりたいことをやれる。
少なくとも住み慣れた我が家に戻りたいと強く願う患者さんがこんなにもいるなんて。その願いのお手伝いをするのが在宅医療であり緩和ケアなのです。

人は近い将来自分が死ぬかもしれないとわかった時の、心の変化を表した学者がいます。
エリザベス・キュープラー・ロスによる受容の五段階です。
5つの段階とは「否認・怒り・取引・抑鬱・受容」。
人は死を前に、この5段階を徐々に受け入れるという考えです。

しかし在宅医療の現場の医師は「全然そうはなりません」と言います。

「今日受容したなと思ったら、次の日には否認していますからね」
「たいていは生きてきたように死ぬんですよ」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

生きてきたようにしか死ねない、どきっとします。私はどんなふうに生きているだろうかと。

◎人生の持ち時間

40代の男性看護師の名前は森山さん。がんと共存する彼は人生に残された時間をこう表現しました。残り時間ではなく持ち時間。

「その人には『持ち時間』というのがあるんです。でも、そういう捉え方は、とても難しくなりましたね。人工的に何かができると思うことがとても多くなって、実は医療行為と寿命との因果関係はほとんどないかもしれないのに、勝手に『もし、あの時』と考えて後悔する。」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

病気になったのなら、なんとしてでも寛解したい。そのためにどんな医療行為も受け入れる、誰しも最初はそう考えるでしょう。しかし「そう長くない」と知ったとき、人はどうするか。
最終地点にたどり着くまでにどれだけ病を受け入れて自分らしく生きるか、体調も悪いのにがんばれるのか、正解がない問いです。賀茂診療所の人々も含めて、迷いながらも突き進む人々がたくさん出てきます。

「今ある命というものの輝きを大切にするお手伝いができたらいい。(中略)
そう思うと、残された時間というのは、それまでの時間とは質がまったく違うものになっているはずです。もっと密度が濃いものにね」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

小さな子どもがいるお母さんが病気になり、最後の力を振り絞って潮干狩りやディズニーランドに向かう。そんなエピソードもあります。それを誰が止められるでしょう。もしかすると寿命が数日縮んだのかもしれない。それでも家族のため自分のために思い出を作ったのです。

◎在宅医療の現実

佐々涼子さんという書き手は、自分をこう評しています。「自他の境界線があいまい」だと。
その佐々さんが生死を見つめ、こうして人々に知らせる仕事をしているのは神の采配の気がします。

佐々さんのご実家のお母様は徐々に身体の動きが奪われる難病になりました。思考が明晰なまま閉じ込められる状態になったのです。それを佐々さんはこう表現しました。

「こうやって「母」は次第に解体されていった。」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

嚥下障害が出た時点でお父様はお母様に胃ろうをつけることを選択しました。お父様が休むことなくご自宅で介護する決意表明でもありました。

「父の介護は完璧だった。日に三度の検温は欠かしたことがなく、一日の空白もなく、びっしりとノートに記録されている。母の肌は血行がよく、まるで陶器のように透き通り、床ずれどころか皺ひとつない。口腔ケアは朝、昼、晩とそれぞれ10分ほどかけて念入りに行われた。」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

お父様はお顔の手入れの仕上げとして、お母様が愛用しているブランドの化粧水で水分を補ったそうです。

介護記録というより、まるで夫婦の睦まじい様子のようです。献身的を通り越した介護、私たち読者も目の前で見ているような臨場感で書かれています。アイコンタクトすらできなくなったお母様の全ての世話をすることがどれだけ大変なことか、どれほどの愛情なのか、想像を越えています。
お母様の人生の「持ち時間」を丁寧に紡ぐお父様の覚悟なんだと思います。

お母様はある日、白血球の値が下がり高熱が続き、検査入院をします。
お父様と佐々さんは毎日お見舞いにいくのですが、病院での口腔ケアや床ずれの対応は全くされておらず、娘である佐々さんが状態を見て声をあげるほどだったそうです。ただ寝かされているだけ。

お父様は黙って痰の吸引をし、目や鼻の手入れをし、床ずれ防止のため身体を動かしますが、若い看護師に見つかるたびに激怒されます。もちろん資格をもたない者が病院で医療行為を行うことは違反です。
しかし病院側の処置は惨状と言わざるをえません。腕に青あざができ、痰の吸引でお母様の前歯2本が「折れちゃった」という看護師。この親子の代わりに私が激昂しました。

それでもお父様は我慢強く、そっと手入れをしては怒られ…の日々を送っていましたが、ある日、堪忍袋の緒が切れました。「なせ患者のためを考えてくれないの」と看護師に怒ったのです。そして翌日にはその看護師に謝罪します。

だめだ、このお父様は魂のステージが自分とは全く違う。私には無理だ。
人を思うこと看護や介護することの崇高さと我慢強さは、並大抵ではないことを思い知らされる章です。
それを克明に書き記す佐々さんの冷静さにもお父様と同じ魂を感じました。

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

◎在宅医療は幸せか

佐々さんのお父様のような介護者がプロと組めば、在宅医療は成立するのでしょう。
労働し帰宅して介護して、翌朝また仕事に行き…こんな状況で介護をしている人も多いことと思います。心身ともに破綻し、家族も崩壊します。
介護は本当にきれいごとではないのです。
さまざまなラッキーが重ならなければ、幸せな在宅医療は成立しないでしょう。

それでも家で看取ることは間違いではなかったと、私も1ヶ月ほど経験したのちに思いました。
入院中だった父が帰りたいと言った家は、私の家であって彼が暮らしたマンションではありませんでした。
私の実家でもあったマンションは父が既に処分しています。それでも病院から立ち去りたかったようです。

理不尽な看護師はその病院にもいました。私は不信感を看護師に物申しました。激昂しないようにしながらですが。
その後、師長に呼ばれました。「落ち着いてらっしゃいますけど、医療従事者さんですか?」と尋ねられました。そんなわけあるかい。

素人ながら命の残り時間を見通せるその段階で、私は在宅を選択しました。
入院中はせん妄も出ていたので、在宅大丈夫かな…と怖かったのを覚えています。

ソーシャルワーカーに相談し介護タクシーや介護ベッドを算段し、訪問看護と医師を紹介してもらいました。在宅での1ヶ月は寝ては起こされ、おむつに座薬に……地獄かな…?と。点滴の針を抜く仕事も看護師さんに教えてもらいました。そんなことしたことないし。注射の針を見るのも怖い私がですよ?

朦朧とした意識で私の家に帰宅した父、病状が良くなることはなく、言葉を発するのもしんどそうではありましたが、元の父が戻っていました。せん妄も出ませんでした。
プロの看護師や先生や薬剤師さんが自宅に来て最大限のサポートをしてくれた安心感はいまでも思い出します。ありがたかったです。

この本の中で在宅で人を看取った女性の話があります。家族の死後、西賀茂診療所のプロ集団とお別れするのがつらかったそうです。女性はヘルパーの資格を取り、西賀茂診療所に就職したといいます。人生を変えてしまうほどの結束力とパワーが在宅医療にはあります。

「私が背負っていた100トンぐらいの荷物を100グラムにしてくださった。私がたったひとりで背負っていた責任という荷物を、みんなで持ってくださった」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

在宅介護は、誰もが決断できるわけではありません。良きチームがあり、総力戦ならば戦えるかもしれない。その選択肢があると知ることだけでも意義はあります。

◎どう生きてどう死ぬのかを問われている

「亡くなりゆく人は、遺される人の人生に影響を与える。彼らは、我々の人生が有限であることを教え、どう生きるべきなのかを考えさせてくれる。死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。」

『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子 集英社

この言葉はさまざまな人々の生と死を見つめてきた佐々涼子さんの死生観だと思います。
読者も誰かとの別離を経験しているでしょう。その人を思い出したり、思い出さないように努めたり。

葬儀などの儀式が終わったあと、近しい人は喪失感に襲われるでしょう。亡くなった方はどう生きてどう亡くなったのか、考えずにはいられません。
この本で出てくる、強い意志を持って生きた人たちが家族のその後を明るく照らしているのが印象的でした。
果たして私には照らす何かがあるのかと不安にもなります。

冒頭でもお伝えした通り、著者の佐々涼子さんご自身も亡くなりました。佐々さんからの多くのメッセージを、胸をつまらせながら読みました。

佐々さんが身を削って書いてきたいくつもの書籍の意味。「どう生きるべきなのかを考えさせて」くれます。人生が”うたかた”であるにせよ、どう死ぬかを考える機会を佐々さんが与えてくれるのです。

佐々さんが著作の中で与えてくれる「幸福」を私たちは読み取りたい。生きる指標にしたい。これからも読み続けたい。そんな読後感でした。

佐々涼子さん、素晴らしい文章をたくさん残してくださってありがとうございました。将来、あちらの世界でお会いするのを楽しみにしています。

こちらの世界でお会いしたかったー。遅かったーわたし。

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