「箱男」は異様な存在ではない/映画「箱男」感想
映画「箱男」を観た。
箱男とはなんなのか。
箱男とは傍観者だ。
匿名性が守られた安全な場所から、対象物を一方的に見る。
箱男は不特定多数のなかに紛れ込む。箱男が誰なのか、そんなことは大した問題ではない。
汚ならしい段ボールを頭から被った姿は、端から見れば滑稽だ。
安全な、自分だけの世界。
そこから優越感を帯びた視線を外野に向ける。
滑稽でも良いのだ。箱の内側だけが世界の全てなのだから。
他人からどう思われようと、この居心地の良い世界から抜け出しはしない。
一見不自由に見える箱男は、箱男にとってみればひどく自由なのだろう。
井の中の蛙のように、自分の見知った世界のなかだけで自分の好きなように振る舞えることは、ある種自由だと言える。
だけど、ある一つの欲が生まれると、箱男は箱男ではいられなくなる。
その欲とは、箱の外側の人に対する執着だ。
あの人に、たった一人の人間として認識されたい。
あの人と、目と目を合わせて話がしたい。
その欲を叶えるには、安全圏の箱の中から外へ出なければならない。
不特定多数の中から抜け出して、「自分」として外の世界を生きることは、傷つくこともある。自分の思いどおりにはいかない。
私たちも、きっと目に見えない箱を被っている。
箱男が街中を走り回っても、周囲の人々はそれほど驚くことはない。
箱男は特異な存在ではなく、誰しもがなりうる、あるいは既になっているのだ。
例えば、今手に持っているスマホ。
それがあなたにとっての箱なのかもしれない。
傍観者として、偽名を使い匿名性を守られ、不特定多数の一人として遠巻きに色んな情報を一方的に眺める。
その姿は、箱男とはたして何が違うのだろう。
そうやって物語が干渉することのない安全な場所から色々と考えながら映画を観ている私も傍観者なのだ。
結末に、思わず声が漏れてしまった。
他人事じゃなく自分事にさせられてしまった。
物語ではなく、これは現実なのだと思い当たる。
映画を観終わって、疲労感があった。
なにか大きな事件があったわけじゃない。
登場人物の一言一句に耳を澄ます。
行動の真理を考える。
全ては理解できない。
心にざわつきを残す映画だった。
****
大学生のころ安部公房の『箱男』を読んだことがある。
読了はしたが、難解すぎてうまく理解できなかった。
映画を観て、また『箱男』を読んでみようと思った。
当時よりは理解できるかもしれない。
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