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誤解の先には理解があるけど、無関心の先にはなにもない/『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』感想
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 /ブレイディみかこ/新潮社
話題になっていることは知っていて、タイトルと黄色い表紙はネットか何かで見かけたことがあった。
ある日、本を読みたい欲がむくむくしてきたので買ってみた。
話題の本を買うのなんていつぶりだろう。というか、このサイズの本を買うことすら久しぶりな気がする。
学生のころは文庫本ばかり買っていた。そっちのほうが安いから。だけど久しぶりに買った大きな本は、手にかかる重さや大きさが心地良い。
35頁
「頭が悪いってことと無知ってことは違うから。知らないことは、知るときが来れば、その人は無知ではなくなる」
無知は頭が悪いとは別物。じゃあ、何も知ろうとしない人は頭が悪い人だと私は思う。同じ無知でも、知りたいと思う人や知ろうと努力する人と、無関心な人は大きな差があるんじゃないか。
私は、頭が悪い人にはなりたくないなあ。
59頁
「楽ばっかりしてると、無知になるから」
誤解の先に理解があるのなら、無関心であることはとても冷たい。無関心は何にも昇華しない。
無知であることは楽だ。だけどそれに胡座をかいて、ずっと無知でいようとすることは愚か。
間違うのは仕方ない。間違うことを恐れて、見なくなることがいけないんだ。
間違えても良いから知ること、歩み寄ること。歩み寄らないと近づけない。私は近づきたい。
たくさんの地雷があって、でも地雷を踏むことを恐れていては一歩を踏み出すことはできない。
いま世界にはたくさんの問題が渦巻いている。あまりにも大きな渦に目が回りそうになる。だけどそこから目を背けちゃいけない。目を背けてしまえば楽かもしれない。でも私は楽なことや無知なことに安心してしまう人にはなりたくないと、この本を読んで感じた。
この本はどうして黄色なんだろう、とふと考えた。どういう意図をもって黄色にしたんだろう。
この本が提示しているあらゆる問題にたいして無関心でいる人たちに、警告を与えているのかもしれない。
これはもしかしたら考えすぎなのかもしれないけれど、決めつけないでいろんな考え方をしてみることがエンパシーの第一歩らしいから。
誰かに貸したくなるような本でした。この本から生まれる思いは、誰かと共有したい。世界が少しでもよくなればいい。大げさかもしれないけれど、そう思った。