チャーリー・ワッツの叩く音は永遠に
ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツ、8月24日に亡くなる。ストーンズメンバーとしては、ブライアン・ジョーンズに続いて2人目。
とても影響を受けた人で、書きたいことは山ほどある。しかし多くの人が彼の功績を語り、ぼくなどがここに記しても、その偉大さがさらに広まるものでもない。ポール・マッカートニーなど絶大な影響力を持つ人が語り、偉大さはとっくに伝わっている。
ということで、「すばらしかった」、「すごかった」と定型で記してみても意味がない。少し変わった書き方をしよう。
有名な将棋ブロガー大沢一公氏が、ちょうど同じ時期に訃報記事をブログに載せた。
彼のブログは「一公の将棋雑記」で将棋ブログだが、将棋だけでない。優れた書き手なので、「将棋」という一つの枠に収まらないのだ。実際、将棋記事より一般記事の方が面白いという読者も多い。
ぼくが彼の文章で最も面白いと思うのが、俗っぽいもののコラム的な「時事史」だ。時事史はぼくの造語だが、まぁ雰囲気は分かっていただけると思う。例えば何年の日本シリーズとか、昭和に流行ったテレビ番組とか、なんとなく顔だけ知られた役者さんとか。それをコンパクトにまとめた文章がうまい。なかで格段にうまいのがマイナーな役者さんで、以前彼が書いた仮面ライダー史を転載したことがある。
今回彼が取り上げたのはウルトラマンでイデ隊員を演じていた二瓶正也さんだ。今回もまた小気味よい文章で面白く書かれている。この二瓶さんが偶然にもチャーリー・ワッツと同じ80歳で逝去ということで、大沢さんの文章に沿ってチャーリーを書いてみたいと思う。1日の読者がぼくの100倍の大沢さんに倣えば、素で書くよりもチャーリーの魅力や偉大さが伝わるのではないかと思う。
まずは大沢さんの記事から。8月28日エントリーの、『科学特捜隊・イデ隊員、逝去』。
俳優の二瓶正也氏が21日、逝去した。享年80歳。二瓶正也氏の当たり役は1966年からTBSで放送された「ウルトラマン」での「科学特捜隊・イデ隊員」で、むしろこの名前ほうが、通りがいい。
イデ隊員はつねに秘密兵器を開発し、ウルトラマンをサポートした。しかしそのイデ隊員にも苦悩があった。1967年3月26日放送・第37話「小さな英雄」がそれである。
東京・銀座に友好珍獣ピグモンが現れた。ピグモンは人間に何かを告げたがっているが、その言葉が分からない。
そのころイデ隊員は怪獣語翻訳機を作っている最中だった。彼はハヤタ隊員(ウルトラマン)に愚痴る。
「科特隊がどんなに頑張っても、敵を倒すのは、いつもウルトラマンだ。ボクがどんな新兵器を作っても役に立たないじゃないか。いや、われわれ科特隊も、ウルトラマンさえいれば必要ないような気がするんだ」
それを言っちゃあミもフタもないが、対してハヤタも「持ちつ持たれつだよ」と奇妙な回答をした。これはのちに結構話題になったやりとりである。
そのころ岩場では、地底怪獣テレスドンと、彗星怪獣ドラコが戦っていた。
ほどなくしてイデ隊員の翻訳機が完成し、ピグモンの主張を解くと、以下の内容だった。
彼らは、怪獣酋長ジェロニモンが蘇らせたものだった。ピグモンもそのうちの1匹だった。
ジェロニモンは、怪獣を60匹以上蘇らせ、5時間後に日本と科特隊を壊滅させる算段だった。
だがピグモンが人間に友好的なのをジェロニモンは知らなかった。これが科特隊に幸いした。
科特隊らは、怪獣の集結地である大岩山へ向かう。だがイデ隊員は「ウルトラマンが今に来るさ」と尻込みしている。
その間にピグモンはドラコに向かっていったが、簡単に殺されてしまった。
ここでイデ隊員はハヤタ隊員に諭され、自分の考えが間違えていたことを知るのである。
そしてイデ隊員は新兵器「スパーク8」でドラコを倒し、ピグモンの敵を取ったのだった。
ちなみにこの回の視聴率は42.8%で、シリーズ最高だった。二瓶正也氏はその後、TBSの「ケンちゃんシリーズ」に数作登場するなど、地味に活躍した。
また1997年にフジテレビで放送された「総理と呼ばないで」では、田村正和演じる某国の総理大臣のSP役で登場した。
俳優は、役名で呼ばれることが一番の勲章だと思う。その意味で、二瓶正也氏はイデ隊員であり、いまもどこかで新兵器を作っているのである。
歴史を作った名優に、合掌。
これを模倣して、ここからは『ストーンズのチャーリー、逝去』。
ドラマーのチャーリー・ワッツが24日、逝去した。享年80歳。チャーリー・ワッツのは1963年デビュー時からローリング・ストーンズのメンバーで、本名を知らない人でもストーンズのドラマーと言えば皆知っているはずだ。
チャーリーはつねにストーンズのドラマーで、ミックやキースをサポートした。ベースのビル・ワイマンも長くメンバーだったが、1993年脱退なので間もなく在籍期間の方が短くなる。
生涯ストーンズメンバーだったが、しかしそのチャーリーにも別の人に叩かれてしまった曲があった。1969年12月5日リリースの『Let It Bleed』収録されたラストナンバー「無情の世界」がそれである。
数あるストーンズのアルバムの中でも評価が高い1枚の、それもオーケストラを入れた壮大で気負った、7分ものロングナンバー。それなのに、唯一チャーリーが叩いていない。叩いたのはプロデューサーのジミー・ミラー。
これを最初に知ったときは、チャーリーが昼飯を食べに行っている間にバンドがノッてジミーを叩かせて録音してしまったという、いかにもストーンズだなぁと思わせるエピソードだった。しかし実際には、チャーリーが叩けと勧めたらしい。このリズムはジミーの方が合っていると。
ストーンズはビートルズのようにパートを入れ替えたりしていないが、ギターのキースはよくベースを弾いていて、けっこう代表曲がキースのベースだったりする。しかしドラムは不動だ。その1曲を抜かして。
ビートルズはホワイトアルバムのしょっぱな2曲がリンゴでなくポールのドラム。リンゴが不貞腐れてスタジオを出ていった9日間の間に録音したものだ。最初期のシングルもスタジオミュージシャン。
「無情の世界」のドラムは、なんとなくジミー・ミラーがチャーリーのドラミングを真似て叩いているようにも感じるが、なぜこの曲だけ譲ったのだろう。それとも本当に不在の間に勝手に録音され、穏便に譲ったということにしたのだろうか。
ジミー・ミラーがプロデュースした5枚の時期(1968年~1973年)はストーンズの黄金期だが、その頂点ともいえる『メインストリートのならず者』でもジミーは少し叩いている。ただ、それは曲の一部で、基本的にはチャーリーのドラムだ。この同時期にはレッド・ツェッペリンが人気で、あのように強く迫力たっぷりなドラミングできないと認めたチャーリーは、まったく同じドラムを2回叩いて重ね録りして音を厚くしている。ここでは工夫しているのに、なぜ「無情の世界」では工夫せず明け渡したのか。
ぼくは、チャーリーが晩年へと向かうにつれ、ストーンズの中でいちばんカッコいい男だなぁと思うようになった。あまり長髪は似合わなくて、髪を後ろになでつけた姿が最も似合うのがチャーリーだった。ここ数年は、いかにも紳士という雰囲気だった。
歴史を作った名ドラマーに、合掌。