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【時を刻む】9月11日に生まれた男が感じる等身大の45歳

このところイベントが続いていて、2週間おきの投稿のための準備を怠っている。こういう時、ちょっと凹んだり自分を責めたりしがち。でも、俺は明るく「はい、すいませ〜ん」と前を向いて進む。遅れたっていいじゃない?遠回りしていいじゃない?自分で決めたルーティンが崩れそうになっても、また、新しいやり方を見つけてみたら良いんだよ。と、自分に言い聞かせ、少し全体構成を変え、記事を短くして乗り切ることに。今後【時を刻む】では、杉本のプライベートや日常の中で伝えたいこと、気付き、報告、紹介したいことなどを文字数を気にしないライトな記事として公開する運びになりました。それではそんなショートな記事をご笑覧ください。


人生はオモシロイほうが良い

1979年(昭和54年)9月11日、午後1時41分、私はこの世に生を受けた。正しくは、その10ヶ月ほど前、母の子宮内で着床された命が成長し、身長48.9cm、体重3160gで帝王切開で母と分離され、この世界に出てきたのである。場所は大阪厚生年金病院。しかし、すぐ保育器の中に入ったらしい…笑

男3人兄弟の二男坊、本当にヤンチャだったようで、父母からは常々、かつての怪我や悪戯など、さまざまな思い出の記憶を刷り込まれる(覚えてるものと覚えてないものと)。それでも、本人は至って、真剣に生きていたんだと思う。そして、45歳の今、なんとなく折り返した寿命というものを意識しながらも尚、まだまだ走り続けている自分がいる。
先日9月11日に45歳になった。(ちなみにその前の節目の40歳の誕生日には怪我をして手術台の上に乗っていた)あれから5年、今年は無事に手術台ではなく「S-RIDE」で呼び出したタクシーの中で東京タワーを拝むことができた。45年を一気に振り返ることなんて出来ない。その曖昧な記憶と鮮明な記憶が入り混じった、自分の生き様やキャリアなんぞ、その瞬間瞬間の意志決定の連続でしかなく、総じて自分は敷かれたレールに乗って、自動運転で運ばれたことはない。常に意志を持って進んでいたものだから、なにやら面白いところに来てしまった実感だけがここにある。人生はオモシロイほうが良い。と、思う。

逆算した命なんてオモシロイはずがない

2023年の厚生労働省のデータによると日本人の平均寿命、男性は81.09歳。女性は87.14歳とある。男女差で6年ある。しかし、それはあくまでも統計的数値であり、自分がそうであるはずがない。「大体、平均すると81歳くらいまで生きそうですよ〜」と、言われたところで、「じゃあ、あと36年か!ってならない。なるわけない」(なる人いたら、ごめんなさい)てか、「.09」って何ですか?命にコンマの下の数字みたいな世界があるわけがない。

これ幸いにして、実家の家業(真言宗のお寺)のおかげで、近くで「人間の死」を多く見てきた自分は、究極を言うと「明日死ぬかもしれない」と思っている。事実、これまでに幾度となく死にそうな場面に直面している。山で怪我をしたり、海で怪我をしたり、机の角で目をぶつけたり、サッカーしている時に頭から落ちたり、マンションの屋上から落ちたり、スペインで拳銃を突きつけられたり、フランスのATMで後ろから鈍器で殴られたり、高速バス運転手居眠り大事故に遭遇したり、ダイビングして中にバルブが爆発して吸ってる空気が全部水になったり、ゴルフカートのブレーキが効かなくなって横転したり、自転車走行中にシニア運転の軽バンに思いきり轢かれて空中を舞ったり。しかし、「生きてる。生かされてる。」それに尽きる。

ダイビング中、まさかこの後バルブが外れるとは思いもしなかった…
ゴルフカートが横転したとき
40歳になる直前に大怪我、骨が飛び出る
40歳の誕生日当日に手術した右肩のレントゲン

時と共に変化していく思考の方向性

「あと何年!って思考はない」「国や社会が決めた定年や高齢者などという定義もない!」自分には、ずっと「明日死んでもいいと思える今日を生きよう」それしかない。先日のイベントで、男鹿半島にある稲とアガベの岡住修兵さんが言った一言が今でも胸に突き刺さる。彼の人生哲学は「どうせ死ぬ、利他であれ」だった。非常に納得したと同時に「究極の利己」の上にある「究極の利他」であれば。という条件を付け加えたい。自分の命は有限である上で「今」という一瞬がある。先ほども捉えた「生きている」と「生かされている」は共存していて、同時に「自分が決めた意志決定が、決めさせられている」という思考もあるのである。この双方向の思考を常に意識するようになった45歳。最近は、「手放せるか」がテーマになっている。まちづくりでもものづくりでも、想像するのは既存の記憶や経験、そのヴァイアスだらけの思考は昨日の自分の呪縛、今日も新しい自分を最大限生きるためにも、昨日の自分から解放してあげたくなってしまう。この記事を読んでいる皆さまは、今日も生きていて、生かされていて、この記事を偶然見つけたのではなく、必然的に見つける運命だったのかもしれない。

ショート記事と言いつつ、長くなってしまった…。今後とも気長にお付き合いいただけると嬉しいです。

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