杉本泰宣
杉本泰宣のプライベートなこと、行動履歴など。
杉本泰宣がめぐる地域、つながる人の紹介。ラジオ『Dual Life Journey』に出演してくれた“あの人”について杉本の想起と音声アーカイブも。
「生きる=暮らす=働くこと=しごと」について。人との交流や関係性のお話も。
さて、前回の「自己紹介その4」では、設計事務所卒業後のPMCM会社への転職、そしてコンサル会社への転職の序章、それに関わったヘッドハンターによる自己キャリアの客観的視点の重要性とメンターとの対話によって得た俯瞰力、ミクロ・マクロの自己指針と自己理解について書きました。改めて、「仕事やキャリアの不安より、自分が納得していない時間を過ごす不安(自己への不誠実)の方がキツイ!」と気付けたことはよかったと感じています。今回は、ここから真新しいコンサルティング業界へ進出する話をしたい
設計事務所からの卒業さて、前回の自己紹介その3では、設計事務所にて尊敬をしていた上司が急逝するところまでを書いた。それが理由という訳ではないが、12年間という時を振り返り、どことなく「時代の転換期」も感じ、日本一の設計事務所を退職すると決めた。今、その退職の理由はなんだったのか?と、改めて振り返る。 1つ目は、やはり憧れる上司の不在。唯一無二の「スゴイ人」を見てしまうと、他者と比較してしまい、憧れの存在を失った消失感が強かった。「マネジメントに強い人」「設計技術がスゴイ
『背中で語るおやじ達に魅せられた男 一般社団法人 里山プロジェクト 小山 友誉さん』放送後記…という名の裏話小山さんとは、新潟県の十日町に稲刈り体験しに行ったときに出会った。地域の集落のこと、山のこと、雪のことを面白く話してくれる同志である。そんな彼の傑作YouTubeを紹介したい。地域に入るとどんなことでもやる彼は、なんと、毎日、新聞配達をしているのだ!積雪4Mを超える中での「エキストリーム新聞配達」を是非ご覧ください。そんな彼の暮らしぶりは、私が滋賀への移住を決める後押し
このところイベントが続いていて、2週間おきの投稿のための準備を怠っている。こういう時、ちょっと凹んだり自分を責めたりしがち。でも、俺は明るく「はい、すいませ〜ん」と前を向いて進む。遅れたっていいじゃない?遠回りしていいじゃない?自分で決めたルーティンが崩れそうになっても、また、新しいやり方を見つけてみたら良いんだよ。と、自分に言い聞かせ、少し全体構成を変え、記事を短くして乗り切ることに。今後【時を刻む】では、杉本のプライベートや日常の中で伝えたいこと、気付き、報告、紹介したい
『美の空間プロデューサー 元「サロン・ド・慎太郎」オーナー・矢部慎太郎さん』放送後記…という名の裏話慎太郎さんとは「サロン・ド・慎太郎」でお会いしたのが始まりだが、コロナ禍にこのサロンを閉め、姉妹店の「紫」だけを残し、「銀座サロンのオーナー」から「器屋さん」にサラリと転向していた。その頃、同じように滋賀県の長浜を開発していた私は当然のように意気投合して、今年の5月には飛騨高山で、9月には浅草で、花柳界の方々の座敷のある「慎太郎の会」に参加させていただいています。 それでは、
無職。から福井県小浜市での下積み時代さて、前回の自己紹介その3ではバックパッカーになり帰国した所までを書いた。高野山での半年間の修行。その後、半年間のヨーロッパ建築旅行を経て帰国、22歳にして見事に「無職」になった。しかし、不思議となんの不安もなかった。 日本には、常にどこかに所属していなきゃいけないフワッとしたプレッシャーみたいなものがある。「あなた、そろそろ働くんですよね?」と、修行を終えたので、「お寺も手伝うんですよね?」という無言の圧力を勝手に感じつつ、ぼちぼちと動
『地域の魅力を価値化 ローカルツーリズム株式会社代表 糀屋総一朗さん』 放送後記…という名の裏話今回、糀屋さんがゲストで出演してくれたラジオ音源をnoteで紹介する理由。それは、今まさに彼と取り組んでいるプロジェクトがあるからです。我々は出自が似ていることもあり、必然ともいえる出会いを経て、こうして一緒に活動できている奇跡。日本の地域で活動する仲間として、同じ志を持って共に協力することで、地域に良い刺激と循環を生み出せると思っています。糀屋さんのフィールドである九州を舞台にお
noteの初回記事の簡潔な自己紹介では、「一風変わったオールラウンド型の経営者」と書いているのだが、もう少し細かくこれまでのキャリアを紹介させてもらおうと思う。これを読んでくれている人のこれからの生きかたやキャリアデザインに少しでもお役に立てたら幸いである。 未来は見通せるものなのか?学生時代「とにかく英語はやっておきなさい」「いい大学に行って、いい会社に就職しなさい」と、言われた。しかし、中学時代にはすでに、実家の寺の本堂に憧れて(カッコいい建築)、建築家になる。と、意思
ゲストハウスは人が目的地前回のラジオ「Dual Life Journey」を聞いていただいたとおり、地域で衝撃的な熱量を放つ菊池勇太との出会いのキッカケは、まさに「地域活動をするのであれば彼に会ったほうが良い」という仲間からの助言であった。門司港にある歴史的な遺産、観光地、特産品には目もくれず、まっすぐ「PORTO」に向かったあの日、私の旅の目的地は「人=菊池勇太」であった。これはとてもおもしろいことで、一般的に今「旅行」とは「観光」「リゾート」「地域の特産物」=「消費」が
『門司港をものすごい熱量で愛する男』放送後記…という名の裏話前回の投稿“【循環の形】♯2 ゲストハウス誕生秘話−菊池勇太との出会い”で登場した菊池勇太さんをゲストとして迎えた回のエピソードを…と言いたいところですが、門司港で起こった摩訶不思議なエピソードを2つお話したい。1つ目は、私が菊池くんと初めてサシノミをした時、菊池くんの知り合いで、隣で飲んでいた建築系の若者が偶然、私の実家の茶室を研究してくれた方で父親を知っていたという奇跡。2つ目は、ある友人を門司港に連れていった時
広さは正義。大は小を兼ねる。滋賀県長浜市が私のライフスタイルの第2の拠点に決まり、いよいよ、本格的に建築設計を始めていた。一級建築士であることを忘れてしまいそうな最近ではあるが、改めて整理をすると、今回、滋賀県長浜市に購入した土地は、山、田畑、宅地含めて、約10,000m2。そして、所有建物は、母屋約230m2、離れ170m2(倉庫含)合わせて約400m2になった。80m2のマンションから、5倍拡張した。いや、拡張してしまった。そう、気がついた人はいるかもしれない。我々は3
“暮らし”と“しごと”のバランスがとれる場所探しトロノキハウスでの体験を経て思ったこと。それは、東京を残して、次の拠点をどこにするか。ふと、自分のライフステージデザインのことを考えた。当時44歳、なんとなくの折り返し感。両親は70代に突入し、会う度に(良い意味ではない)変化を感じる。残り20〜30年の子育て環境と両親の介助、定年や隠居、年金や後期高齢者、医療・介護リスク。そんなテーマが頭をよぎる中、「家族が家族らしくいられる場所」「暮らしとしごとのバランスが取れる場所」で絞
家族のこと、コロナのことデュアルライフをはじめるきっかけの話をする前に、まず、私の家族構成を話せればと思う。2024年現在、私(44歳)妻(41歳)娘(9歳)の3人家族。2004年に上京した私は、2008年に結婚、2012年には多摩川の近く(神奈川県)に3LDK(約80m2)のマンションを購入。2015年に娘が生まれ、歩いてすぐの多摩川によく遊びに行っていた。そんな中、2019年の年末にコロナ前兆ニュースがあり、2020年の春にロックダウン。街中から人が消え、公園の遊具が黄
杉本泰宣、noteはじめました2019年10月に独立してから5年が経過しようとしている中、インプットばかり増えアウトプットする機会が少ないことが課題になってきている。同時に「杉本さんは何をしている人?」と、聞かれることが多くなってきた。自分の頭の中を整理するためにも、アウトプット先としてnoteを活用してみようと思っている。…が、表向きの言い分で、実のところ、私のサポートをしてくれているYUPICOFに書きなさいと尻を叩かれているというのが本音だ。 大阪生まれ福井のお寺育