ダイバーシティ&インクルージョンとは「空気を読まないこと」
ただいま、パナソニックとnoteのコラボで「あの失敗があったから」の作品を募集していますので、これまでを振り返ってみました。思い出していると、いま取りくんでいるダイバーシティ&インクルージョンの活動につながるひとつの原体験でした。
「KYなやつ」
空気を読めない、KYなやつだと、友達から嫌われる。小さいころからそんな風に思っていました。
私は小学生の時はいわゆる優等生的なポジションでした。先生が求めているものを「読んで」動いていたので、先生から見たら良い子だったのでしょう。何かあるとお手本のために先生から名前を呼ばれる、そんな存在でした。
三兄妹の真ん中というのもあったかもしれません。
上と下の兄妹をみながら、怒られないように上手くやろうとして、まわりをよく見て過ごしてきました。
だから余計に、「KYなやつ」とは真逆の、「空気を読んで」行動する子供時代だったと思います。
仕事を始めてみると、本当にたくさんの人たちと信頼関係を結んでいかなければなりません。そんなときに、自分の子供時代から培ってきた「まわりをみて空気を読む力」を発揮して、上手く仕事がまわっていきました。
会議の中で、商談の中で、相手の表情の変化をみる。チャットのやりとりの中で、言い回し、表現をみる。
その向こうに「きっとあの人はこう考えているはず」「いま、あの人はこういう気持ちになっているはず」。
そんな風に姿が目に浮かぶから、どういうタイミングで、どんな言葉を掛けようか、自然とでてきたのです。
子供時代に「KYなやつ」はちょっとまわりから浮くだけですんだかもしれない。けど、仕事の中で「KY」だったら、仕事ができないやつという烙印を押されてしまうかもしれない。
でも、自分は違う。
自分は相当、上手く空気を読みながら仕事をできている。そういう自信がついていきました。
「KYなリーダー」
20代半ばでチームのリーダーになりました。
自分の空気を読める力があれば、メンバーとも上手くやれるはず。当時、自信に溢れていた自分は、それまでと同じように、まわりの人の、メンバーの様子をみて、「こう考えているな」「こういう気持ちだな」と空気を読んで仕事をしていました。
おかげでチームもいい感じで上手くまわっている。そう感じていました。
仕事はもちろんバリバリとチームでこなしているし、仕事を離れたところでもメンバーとカジュアルに話しあえる関係だと思っていました。
ところが、その年も終わるころ、隣のチームの仲の良かった同僚と飲みにいった時のこと。
衝撃的な一言を伝えられました。
今もその時のことが明確に思い浮かびます。目黒の、駅から少し離れたところにある小さなお店。年末で気持ちも落ち着きかけたところに、まったく思いもかけない言葉を耳にすることになったのです。
「同じチームの○○さん、いつも泣いているよ」
当然ながら「え・・・?」となりました。
だって、相手の空気を読みながら仕事をしていたし。仕事もスムースにまわっていたし。仕事から外れたところでだって、冗談も言いながら親しく話もしていたし。
「そんな訳ない。」「そんなはずない。」頭の中でしばらくこの二言がぐるぐるとまわっていました。
ただ、そのことを言ってくれたのは仕事仲間で一番信頼していた人でした。そんな人が、わざわざ呼び出して、伝えてくれた。多分、めちゃくちゃ言いにくかったことだと、今振り返ってみると感じます。
その人の様子をみて、空気を読んで分かった「つもり」になっていた。
自分に併せてくれていた態度をみて、考えを理解してくれている「だろうな」と勝手に解釈して進めていた。
相手に聞きもせずに、勝手に相手の気持ちを想定して話をしていた。
「空気を読みながら仕事をできるから、重宝されていた」と思っていた自己認識が、根底からひっくりかえされた瞬間でした。
「KYな自分」が、そこには居たのです。
空気を読めない方がいいことがある
そこからは反省の日々です。
空気を読もうとする所作が子供時代から積み上がってきていたので、「分かったつもり」に気が付くことから大変でした。
でも大切な仲間を傷つけたくない一心で、なんとかマシになろうと努力してきました。そのために、あの日から自分の中で心掛けていることが3つあります。
(1) 自分は「空気を読めない人間だ」と前提を置く
そもそも、人の頭の中を読めませんし、心の内が見えるわけでもありません。「空気を読める」と自分のことを思ってしまうと、そこからボタンの掛け違いが始まります。
分からないから、聞こうと思いますし、理解するために話してみようと思います。
自分は「空気を読めない」と前提を置くことで、対話するしか方法がないことに気が付けました。
(2) 相手を「型にはめない」
つい、こういう性格ならこういう考え方をするはず、とかこの流れならこう受け止めるはず、とか勝手に「はず」をつけて相手を型にはめてしまいます。
人はパターンで判断しがちなので、思考としては気持ちよかったりします。血液型診断とか、性格診断みたいなのに通じます。
でもそれってすごく一方的な決めつけでしかありません。百人百通りの個性、考え、価値観がある。だから「型にはめる」と見えなくなってしまうことがある。
そう考えるようになりました。
(3) 相手の「意図を聞く」
話を聞くにしても、結論だけを聞いてしまうと誤った解釈をしてしまうことがあります。
めっちゃ平たく言うと例えば「おかゆが食べたい」だけ聞くと、おかゆが好きなのかな?とか、おなかの調子悪いのかな?とか「空気を読む隙」ができてしまいます。
そうすると無意識の思い込みから、決めつけてしまうことにもつながりかねません。
なので、「どうしておかゆを食べたいと思うのか」まできちんと理解するのが大切ということです。
上手くいかないことは、あれから10年近くたった今もまだまだあるのですが、この3つの心掛けができるようになったおかげで、少しはましになってきているように思います。
ダイバーシティ&インクルージョンとは「空気を読まないこと」
いま会社の中の役割として、ダイバーシティ&インクルージョンを推進するチームにいます。
その中で、組織の中で起こっていることを調査し、分析して、変化の働きかけにつなげていっています。
そこで浮かんできたのは「あの日の自分」の姿でした。
ダイバーシティ&インクルージョンが進んでないと言われる場面で起こっていることは、例えば「分かったつもりになって」やったことが相手を追い詰める。
「良かれと思って」やったことが相手の気持ちを萎えさせている。
親しみの中で「相手のためを思って」でてきた言葉が、相手を深く傷つける。
そんなことの連続です。
これって、10年近く前の自分がやっていたことかもしれない。自分の思い込みや、自分の一方的な価値観の押しつけで、相手を苦しめてしまっている。
相手を苦しめているにも関わらず、自分はできていると思い込んでいる。自分のやり方に自信を持っている。
すこし俯瞰してみれば、絶望的な構図に見えます。気付ける機会がなければ、溝が永遠に深まり続ける構図だからです。
一方で希望も感じます。
なぜならば、自分自身はそこから変われたからです。誰もが悪意を持ってやっているわけではない。
だから、気が付けさえすれば変わっていけると信じています。そのためにも、まず自分が「空気を読めない人間だ」と前提を置いてしまうことがスタートになると思います。
そして、「相手を型にはめず」、「相手の意図を知ろうとする」こと。
自分が「あの日」から辿ってきた10年近い日々は、これからの会社のダイバーシティ&インクルージョンにつながるはず。
あの時、大きな失敗をした自分の経験は、同じ経験を生まないために会社組織を変えるために活かせるはず。
今はそう信じて取り組んでいます。
「あの日」、私に現実をつきつけてくれた同僚には今も心から感謝しています。そして、傷つけてしまった同僚にはあれからきちっと向き合えたと思いますが、苦しめてしまった時間に関しては本当に申し訳なく思っています。
ただ、あの失敗があったから、間違いなく自分の仕事のスタイルは良い方向に変化をしましたし、今も強い意志をもって会社のカルチャーチェンジに向き合えています。
失敗を受け止めるには辛さがあります。恥ずかしさもあります。
ただ、その一時の感情を自分が受け入れるか、否かで、その後は大きく変わるのだろうと、この経験を通じて感じています。