腰を痛めたのは、実行することに対する自信の無さの現れ?
自分の機微に目を凝らす100日ドリル 15
さて、ちょっぴり寝坊した、けどそれなりに書いてみよう。
と思ったら、息子の「母ちゃん…」が聞こえてきたのでお布団へ。抗わず、ぬくぬくした。
腰を痛めて畑の労働もお休みなので、ゆっくりヤギ散歩を終えて仕切りなおしたところで。小南式ワークのstep4へと進んでみようかな。
病気をネーミングし、感謝の気持ちを持つ自分を意識のコンテクストに創ってみよう。
『~NEW APPROACH』の第4章では「身体とマインドの関係」と題して、臓器や神経系統、部位ごとに表現される「病」がどうマインドと関係しているか、という事が書かれている。
ナミさんの西洋医学者としての臨床と、その後の精神的トレーナーとしての経験・研究、東洋医学的知見などを合わせて導き出されたものなのか、見方によっては全く科学的でない、現実的でない、時代遅れで迷信的で取るに足らないとされてもおかしくないものなのかもしれない。そんな記述かもしれない。私には、教養では判断することができないので、もう、神秘としてとらえるしかないような内容だ!
私は自分の身体に現れている現象の、どれを「病」と捉えようか。いわゆる病名のついた病は特に持っていないのだけど、定期的に悩まされる不定愁訴は色々抱えているし、家庭内で自己否定や他者否定を繰り返し、家庭の人としての自信をずっと持てないことや、最近腰を痛めたこと、昨日の夜中に急にお腹が痛くなってトイレにこもったことも、私のマインドの状態を表現する「病」として見ることができそうだ。
ためしに腰を痛めたことに関して、第4章の記述と照らし合わせてみよう。
「筋肉への支障は新しい体験への抵抗を意味します」
「自分や自分の人生を、自分が動かしたりコントロールできないと判断した時に起きてきます」
「腰ー粘り気や弾力。外部からの圧力に抵抗し、現状を維持しようとする力。実行力。」
むむ。腰を痛めた時のシチュエーションを思い出せば、公民館祭りの出店の設営をひとりでやっていた時だ。夫は同時開催のバレーボール大会に選手として出るのでおらず、一緒に設営をするはずだった相棒は赤ちゃんの調子が悪く不参加、はじめてのイベントではじめての一人設営で、息子や娘は腹減ったとかつまらんとかなんかガチャガチャしてきたし、心細くて焦りがあって、わたしばっかりがんばってるじゃん、、みたいな、今思えばまたも子供じみた飛躍で自分自身を不穏にさせているマインドの状態だったな、、と。
なんか思い出してきた。私、10代のころからずっと腰痛あったんやった。2回の出産を経て、30代半ばで慢性的な腰の痛みはほぼなくなった。
なんか、考えさせられるわね。なんか。
左足の、鼠径部から前腿にかけてのつっぱり感も長い間不快だった。腰の痛みもいつも左側だった。今の腰の痛みも左側。すこし前腿のつっぱり感もある。
「身体の左側ー受け入れる、女性的エネルギー、女性、母」
ううむ。
取るに足らないこととするか、神秘として興味深く顧みるか。
鼻づまり、アレルギー、気管支炎、月経前症候群、軽鬱、軽躁、自己否定、他者否定、こどもじみた感情の飛躍、、
ここらへんから、神秘として顧みることをためしてみよう。昼になっちゃったからおしまい!
ゆっくりだ!