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読書日記〜「POP IND‘S 1990 Apr.-Jul. No.29」

 昨日、ZaZaレーベルについて触れたところコメントを頂いたり、他のSNSで反応があったりしました。
そうすると、雑誌「POP IND‘S」にインディーズだったり、ロック・レーベルの特集があって、その中にZaZaレーベルについて触れた号があったはずと思い出してしまったんですよね。
ちょうど雑誌の山を整理したばかりだったので、探していた号はあっさりと見つかりました。
じゃ、行ってみよー。

・「POP IND‘S 1990 Apr.-Jul. No.29」(スイッチ・コーポレーション)

 表紙は高橋幸宏さん。版型が小さい「POP IND‘S」はこれが最後の号で、ピチカート・ファイヴの小西康陽さんと高浪敬太郎(慶太郎)さんが選盤した特集が有名な号は版型が大きくなってからなんですよね。
さて、レーベル研究の記事ですが、「JAPANESE POP LABEL」の3回目です。
今回取り上げられているのはSwitch 45p.r.m.、MIDIレコード内のSchoolレーベル、ZaZaレーベル、そしてMINT(SOUNDは表記されず)でした。
こりゃまた大好きだったレーベルばかりですね。
ZaZaレーベルはHALOのアルバム『HALO』が1990年代1月に、サロン・ミュージック『PSYCHIC BALL』が4月に発売されなばかりで、PINKのディレクターだったか佐々馨さんがハウス・ディレクターとして立ち上げたばかりだったという。
この記事を掲載するにあたって、佐々さん自らがインタビューに答えて意味はメチャクチャ大きい、と。

 PINKは表向きは活動休止期間入ったということでしたが、契約上の問題でそれを明らかにはできなかったのでした。
PINKのラスト・アルバム『RED&BLUE』には福岡ユタカさんと矢壁アツノブさんのプロジェクトは完全にHALOへの布石でしたし、岡野ハジメさんやホッピー神山さんは解散後を目論んだと思われる内容でした。
PINKらしさが伺えた「ベルリンは宇宙」は『CYBER』のアウト・テイクだったと伝えられています。

 岡野さんと吉田仁さんのクラドラフォニクスはZaZaにアルバムを残したのみならず、スターリンのアルバムをプロデュースして他にはなかった作品を作り上げてま(山下達郎さんの「RIDE ON TIME」のカヴァーが知られてます)。

 ホッピーさんと下山淳さんとのラエルはデビュー前にPITでFlower Hipという形でやっていたり、2人でやるということでデモテープを募っていたことが知られています。
そのテープの中にルースターズの「LADY COOL」をアカペラで歌っていたものがあって、ズッコケたというのは割と有名なエピソードですね。

 ちなみにマンナはデビュー前にSwitchからのオムニバスに参加していましたが、そのオムニバスにMr.Childrenが参加していたことでプレミアが付いてしまったのでした。
そのオムニバス盤を主導したのが雑誌「POP IND‘S」というのは非常によくできた話ですね。

 ちなみにこの「POP IND‘S」には高野寛さんやBOXの杉真理さんと松尾清憲さんとのインタビューが載ってるいるのは、現在まで繋がるなか流れを表しています。深いです。

 「POP IND‘S」研究はまた手に入る予定がありますから。その時に何か書きたいですねー。

 ではまたー。

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