読書日記~村上“ポンタ”秀一「自暴自伝」編。
今日は上京前最後の買い出しでした。なのでお土産買ったりしましたが、なかなか欲しいものが売っていないという。。
しかも、伯母が入院していた病院近くのスーパーや、デイサービスに使っていた施設前を通ったりでかなり複雑な心境になってしまいました。。
普段通っているスーパーより歩行距離は短いけど、アップタウンが激しい地域なのでメチャクチャ疲れました。その上ちょっと暑いし。
現在、帰宅して横になっているところです。
じゃ行ってみよー。
・村上“ポンタ”秀一「自暴自伝」(文藝春秋)
村上“ポンタ”秀一さんの名前を初めて意識したのは、オフコースのライヴ盤『秋ゆく街で』に参加していたからでした。
これまた前の記事と同じく1978年か1979年の出来事ですね。
中学に入る前の冬休みにオフコースをお年玉で買った中に入っていた記憶があるんですよ。
まだカーペンターズやベイシティローラーズを兄に教えてもらったばかりの頃で、洋楽はその辺しか知らなかった私です。。
ポンタさんの名前を意識したのは『秋ゆく街で』収録曲の「でももう花はいらない~What's goin' on」でメンバー紹介で小田和正さんが「ドラムス、ポンタ」と呼んだ後のソロがまたいいんですね。
ちなみにこの日のメンバーには「ギターの大村(憲司)くんです」と紹介された大村憲司さん、「キーボード、ハネケン(羽田健太郎)さんです」と紹介された羽田健太郎さんが参加していました。
ライヴ前のリハーサルで小田さんと名ギタリストの松木恒秀さんとのやりとりが書かれていますが、個人的にはセカンド・アルバム『この道をゆけば』のレコーディング・メンバーをライヴで集めるというコンセプトだったので、このライヴ(盤)では大村さんがファースト・コールではないか?と思うのです。
ただ、あまりにもポンタさんが語るエピソードが具体的なのでオフコースが松木さんにレコーディングで参加オファーしたのかも?とも想像してしまう私でした。
YMOのブレイク後、大村憲司さんの名前も意識するようになったわけですから、その関係でポンタさんをより意識するようにもなったのでした。
YMOの前の段階だったKYLYNもありましたからね。
1980年に山下達郎さんがシングル「RIDE ON TIME」でブレイクしたら、雑誌「ロッキンf」でYMOがレコーディングに参加したリストが載っていて、周辺のミュージシャンの存在が整理されたというわけなのでした。
その辺は大まかな知識のまま現在に至っているものもあり、掘り下げることに夢中になったものもありましたね。
特に山下達郎さんのサポートを松木恒秀さん、坂本龍一さんにポンタさんがいたことを知ったわけてしたから。
しばらく間が空いた1987年、大好きなミュージシャンの泉谷しげるさんのバンドLOSERが結成されたのには夢中になりましたねー。
泉谷さんの楽曲のレベルは上がるばかりでしたし、ポンタさんのドラムスと吉田建さんのベース、仲井戸麗市さんと下山淳さんのギターも炸裂されました。
この辺のエピソードは泉谷さんの本「わが奔走」にもありますね。
LOSERをライヴハウスで観ることができたのは幸運だったと今になって思います。
その前にポンタさんと大村憲司さんが参加していたのは井上陽水さん『クラムチャウダー』ツアーでした。
さすがに生でこのライヴは観ていませんが、当時普及し始めたレンタル・ビデオで見ることができ、感激してしまったわけでした。
大学生の頃、ライヴ盤を買ってヘビーローテーションしていましたね。
ちなみに大村さんと『クラムチャウダー』とビートニクスのツアーに一緒に参加したのは小林武史さんだったのです。
大村さんのお気に入りのキーボーディストは小林さんなのでした。この辺の人脈について研究したことを懐かしく思います。
ここまで長々と書いた通り、この本を読むと私の音楽の流れの中でポンタさんは重要な存在なのです。
この本でのポンタさんの口調がそれを重くはない形で教えてくれたのでした。
まずなによりもポンタさん、ありがとうございます。
ではまたー。