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『あちらにいる鬼』(井上 荒野)を読んで

すごい本を読んだ。

実父(井上光春)とその不倫相手(瀬戸内寂聴)、実母について、娘が描いたという本だ。
しかも、瀬戸内寂聴が帯のコメント(帯文)を書いている。

本には「重さ」と「濃さ」があると思う。
重さ、は内容のシリアスさ。
濃さ、は内容の密度のことだ。

『あちらにいる鬼』は濃い本だけれど、重い本ではないと感じた。

妻と不倫相手の葛藤も描かれてはいるが、どこかさっぱりとしている。
不倫相手は自分の恋を操作不能のものとして、どこか達観した様子で第三者的視点すら持って、眺めている。
妻は夫の不倫を黙認していて、不倫相手に好意すら持つ。

内面描写が細かく、精密に描かれているので、濃密な本ではあるが、不倫につきもののドロドロした様子がないから、決して「重い」本とはいえない。

まったく立場の違う三者を描いているが、「眺めている者」という第三者の視点を感じる話だった。それは登場人物の視点でもあり、もしかしたら作者の視点といえるかもしれない。

父の不倫について書くとなれば、個人的感情が入り込みそうに思う。
怒り、恨み、冷淡さ、同情、そういった「熱い」「冷たい」の温度がないのが印象的だった。この作者はただものではない。
重くないから読みやすい。だけど、強い印象を残す、心してかかったほうがいい本だ。



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