
政治と宗教と味噌の起源の話はするな
●訂正
先日書いた記事で醤油のハングル表記が間違っていたので訂正する。「カンジャン」の正しい表記は「간장」、料理の「カンデンジャン」は「강된장」で、カタカナで書くと最初の部分が同じになってしまうが韓国語では違う発音で意味も違う。
カンジャンの「カン(간 gan)」は「塩辛い」という意味らしく、「ジャン(장)」は漢字で書くと「醤」で、中国の豆板醤とか甜麺醤と同じ「ソース」という意味になる。つまりカンジャン(간장)は文字通り「塩辛いソース」。
これに対してカンデンジャン(강된장)の「カン(강 gang)」は漢字で書くと「強」で、先ほど出てきたカンジャンの「カン(간)」とは関係なく、「カンデンジャン」は別に醤油+味噌という意味ではない(苦笑)
ちなみに、「テンジャン(된장)」は「固い醤(ジャン)」ということらしい。
●政治と宗教と味噌の起源の話はするな
さて、東アジア人の前でタブーの話題といえば政治は言わずもがな、それ以上に味噌の起源について話してはいけない。
なぜならその起源を巡って日中韓全てが言い争う地獄絵図と化しているからだ。
◎中国人「醤の起源は中国だろ、常識的に考えて」
味噌や醤油など、東アジアに存在する多くのソースや調味料の起源が古代中国の「醤(しょう)」に遡ることは間違いない。
前漢時代に編纂された「礼記(らいき)」、そして戦国時代に孔子の弟子たちによってまとめられた「論語」にも醤に関する記述が登場する。
郷党(きょうとう)第十に食事に関する教えが書かれているのだが、その途中に「不得其醬不食(そのしょうをえざればくらわず)」という一節が登場する。これは現代語に訳すなら「ちゃんとした醤(ソース)がないなら私は食わんッ!!」という意味になる(ちなみに、別に孔子は某グルメ漫画の父子関係最悪の親子二人のように美食家だったわけではなく、当時は食べるものによってつける「醤」が決まっていたというだけ)。
ただし、この「醤」というのは「醢(カイ)」で、どちらかというと「肉醤(ししびしお)」、つまり動物性のものだった。
その後、北魏(4〜6世紀)の時代に書かれた農業技術書「斉民要術(せいみんようじゅつ)」に「醤」と「豉(し)」の作り方に関する記述が登場し、これが現在のような大豆を使った醤になる。
これこそが、味噌や醤油、テンジャンやカンジャンなど東アジアに存在する大豆を使った塩蔵型発酵食品の起源です。
◎日本人「発酵食品なんて元から日本にもあるだろ」
ちょっと待ってよ、中国人さん。
「塩蔵型発酵食品」なんて要するにただの塩漬けだろ? 日本は海に囲まれてる島国なンだからさァ、塩ぐらいいくらでもとれるわけ。そんなの誰に教わらなくてもとっくの昔、縄文時代から作ってるよ。
こちとら奈良時代にはもう「醤院(しょういん)」っていう醤(ひしお)を専門に作る部署が宮内省にあったんだぜ? 718年に成立した「養老律令(ようろうりつりょう)」にも、当時作られてた調味料として「醤・醢・豉(し)・未醤(みしょう)・酢・酒・塩」って書いてある。この「ミショウ」が訛って今の「ミソ」の語源になったんだ。
補足:日本でも昔は「醤(ひしお)」というと必ずしも調味料をささず、原材料によって大豆や麦、米など穀物を使う「穀醤」以外にも肉醤や魚醤(要するに塩辛)、草醤(要するに漬物)など色々あった。
◎中国人の反論「豆味噌の起源は浙江省の禅寺」
鎌倉時代に中国浙江省の禅寺径山寺(きんざんじ)で学んだ臨済宗の禅僧心地覚心(しんちかくしん)が持ち帰ったものの一つに「金山寺味噌」というのがある。本国では失われてしまったが、奈良県の興国寺(こうこくじ)には現在にもその製法が受け継がれている。
これが味噌の起源ですよね(威圧)
◎日本人の反論「調味料としての醤≠食べ物としての味噌汁」
覚心上人(かくしんしょうにん)がお造りになった金山寺味噌は「嘗め味噌(なめみそ)」っていって、今の味噌と違っておかずとしてそのまま食べるモンだった。それに、原材料が中国のと違って米が使われてる。今の信州味噌の原型になった長野県の安養寺(あんようじ)に伝わる「安養寺味噌」なんかもそうだ。
それに、室町時代になって「汁講(しるこう)」っていう飲み会みたいなものが流行ったが、これはその名の通り味噌汁が主役で鍋パならぬ味噌汁パーティだった。この時点で、味噌汁はもはやソースではなく食べ物として成立してたってこった。
中国人は醤単体を肴に酒を飲むのか? うん?
◎韓国人「ミソの起源は高麗醤」
おやおや、みなさん忘れてしまったのですね……。
味噌のルーツは朝鮮半島ですよ。三国志の魏志高句麗伝には「高句麗善蔵醸」、つまり「高句麗は(醤などの)発酵食品を作るのに長けている」という記述があります。
8〜9世紀ごろの日本に味噌の作り方を教えたのも我々です。その証拠にかつて日本では味噌は「高麗醤(こまびしお)」とも呼ばれていたんですよ?
現在でも東北や奥信州には「味噌玉」と呼ばれる茹でた大豆を丸めて家の軒先にぶら下げる豆味噌の製法が伝わっていますが、これは韓国の味噌「テンジャン」の原料となるメジュと同じ起源を持つもので、「味噌(ミソ)」という語自体も古代朝鮮語のこの言葉から来てるんですが。平安時代に編纂された漢和辞典「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」にも、味醤(みそ)は漢語抄(かんごしょう)という本によると高麗醤、「美蘇(ミソ)」と読むと書いてあります!
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という感じで収拾がつかない。
どうしたものやら。
ちなみに、日本では味噌、韓国ではテンジャンという具合に大豆を発酵させて作ったペースト状の調味料が料理に多用されるわけだが、東アジア文化の大元であるはずの(少なくとも現代の)中国には一見そういうものがない。豆板醤は空豆、甜麺醤は小麦粉が主原料だ。
これについて中国人の友達に聞いてみたところ、一応中国にも黄豆酱や东北大酱などペースト状の調味料があるのだが、これは前述の「醤」と違ってそこまで長い歴史があるわけではなく(早くても10世紀ごろ)、これが直接日本や朝鮮半島に伝わったということは考えにくい。
●個人的な見解
そもそもの問題として、中国にルーツを持つ「醤」と日本の「味噌」や韓国の「テンジャン」を同じものとするか、というのがある。
「味噌」や「テンジャン」は紛れもなく「醤」の一種ではあるが、大豆を発酵させて作ったペースト状の調味料を料理に使うというのは歴史的にだいぶ後になってからの話で、それに加えて日本で古来から作られてきた塩蔵型発酵食品の流れを汲む大豆以外のものを使った発酵食品も「味噌」という言葉で一纏めにされてしまったせいで混乱が生じているのではないか。先ほどの金山寺味噌のように明確にその由来が分かっているものも含めて、全国各地に散らばっている味噌の起源はおそらく複合的かと思う。
つまり、あまりいい結論とは言えないが、結局「どれも正しい」?