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しあわせのコミュニケーション
そもそも人を幸せにするのは「自他尊重のコミュニケーション」です。自分の事も、他人の事も尊重し、これからどうしていくかを一緒に話し合いながら決められる人が幸せになるのです。これは行動療法家ジョセフ・ウォルピの教えです。彼は人の行動を研究する中で、コミュニケーションを3通りに分けました。
①アグレッシブ 自分は尊重し、相手を尊重しないコミュニケーション
②ノンアサーティブ 相手を尊重し、自分を尊重しないコミュニケーション
③アサーティブ 自分の事も相手の事も尊重するコミュニケーション
そしてこの最後の「アサーティブ」と呼ばれるパターンをとる人が幸せになるというのです。自他尊重のコミュニケーションです。自分の気持ち、考え、やり方を大切にしつつも、他人のそれにも配慮するということです。
宮越大樹 人生を変える!「コーチング脳のつくり方」より一部抜粋
最近になってこの「自他尊重のコミュニケーション」が本当に人をしあわせにするとよく考えるようになりました。
以前のわたしは
そもそも「尊重」ってよく言われるけど、どう意味?なんか漠然としていてよくわからないって思っていました。
調べれば「尊重」・・・価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。
とは出てきますが、なかなか自分の中に落とし込めないでいました。
どちらかとういと、お恥ずかしながら①のアグレッシブと②のノンアサーティブの人間でしたので。
しかも、人によって使い分ける。
わがままが通用する身近な相手には①。
職場では完全に②のイエスマン。
要するに、内弁慶。猫をかぶっているという人間です。
それなのに、自分は②のノンアサーティブの時は「謙遜」していると勘違いしていました。
「謙遜」・・・へりくだること。控えめな態度を取る事。
それが良い事だと思っていましたし、それで丸く収まれば、面倒にならなければそれでいいと思っていました。
もちろん、謙遜自体が悪い事だとは思っていませんし、時と場合いによっては必要だと思います。
でもコミュニケーションという観点で考えたら、確かにしあわせではなかったのかも知れません。
①アグレッシブも②ノンアサーティブも、自分か相手かのどちらかは我慢したり、逃げたりしていたわけです。そして自分も相手も大切に出来ていなかった。
問題解決のためのコミュニケーションだとしたら、なおさら良くありませんよね。
③のコミュニケーション「アサーティブ」「自他尊重のコミュニケーション」「しあわせのコミュニケーション」
まずは自分を大切にあつかう。そしてもちろん相手の事も大切にあつかう。
これが私の中で定着すれば、私は変わります。そして相手も変わります。そうすれば私の周りの小さな社会も変わるかもしれない。
まずは自分から。