にし

在宅でWebマガジンの記事翻訳、エディター、ライターなどの仕事をつらつらしているアラフ…

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在宅でWebマガジンの記事翻訳、エディター、ライターなどの仕事をつらつらしているアラフィフ女性。 夫と二人暮らし。最近、親から引き取って一緒に暮らしていた老猫が亡くなり、ペットロス中。 マインドフルネス瞑想とパン作りにハマっている。

最近の記事

コミュ障のためのインタビュー術

最近、亡くなった猫を悼む文章ばかり書いているので、 珍しく仕事のことを書いてみようと思う。 現在、私は業務委託で某ウェブメディアの仕事を請け負っている。 主な業務内容は、 企画、執筆者選定・依頼、記事編集、取材、インタビュー、ライティング などだ。 文章を読んだり書いたりすることが好きなので、 編集や校閲は苦にならない。 だが、「人見知りで、友人も少なく、会話下手」という性格上、 インタビュワーとしての素質・適正はゼロに等しい。 ライティングの能力も人並みだと思う。 それ

    • 「死」が優しさを奪う前に

      実家で飼っていた猫を引き取り2年ほど一緒に暮らしたが、 実は夫には猫アレルギーがある。 そのため「一生、猫は飼えないだろう」と諦めていたのだが、 老いた親が飼い猫の面倒を見られなくなったため、ダメ元で夫に、 「実家の猫を我が家に連れてきてもいい?」と聞いてみた。 夫は単に「いいよ」と答えた。 あまりにもあっさり了承してくれたので、「もしかして、自分が猫アレルギーであることを忘れているのではないだろうか」 と思った。 だが、もちろんそんなはずはなかった。 猫と暮らし始め

      • 亡き猫の「らしさ」の追憶

        飼い猫が亡くなってから2か月半。 私も夫も「猫の不在」にじわじわダメージを受けつつある。 猫はそこにいるだけで、幸福な空気を生成し、まき散らしていたんだなと 改めて実感する。 「また新たな猫を迎えればいい」という考え方がある。 それ自体は全然悪いことではないと思う。 うちの猫はロシアンブルーだった。 猫種としての傾向はあるかもしれないが、 同じロシアンでも、性格がまったく同じということは当然あり得ない。 だから再びロシアンを飼うとしても、 「同じ」なのに「違う」ことに気

        • ささきめぐみ個展『チョビとその周辺』を見て、生き物の優しさに包まれる

          三軒茶屋の本屋さん「トワイライライト」へ、ささきめぐみさんの個展『チョビとその周辺』を見に行った。(展示は2024.9.30まで) https://ignitiongallery.tumblr.com/post/760057935714009088/%E3%81%95%E3%81%95%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%90%E3%81%BF%E5%80%8B%E5%B1%95chobi-and-around-him 先日、同書店のイベントにうかがったときに

        コミュ障のためのインタビュー術

          ドラマ「終りに見た街」を見て、「知性の価値」に想いを馳せる

          山田太一原作のドラマ「終りに見た街」は、クドカンが脚本を手がけても、やっぱり怖かった。 このドラマを私が初めて見たのは1982年、小学生のときだ。 その時はあまりにも衝撃的なストーリ、とりわけラストにショックを受け、 文字どおり眠れなくなった。 いくつものシーンの映像が今も脳裏に焼きついているほどだ。 2005年の2度目のドラマ化は見ていない(あったことも知らなかった)。 今回、「見たことがない」という夫と見るため、いそいそと録画した。 夫はクドカンのファンなのだ。 あら

          ドラマ「終りに見た街」を見て、「知性の価値」に想いを馳せる

          ペットロスはいつまで続く?

          愛猫が亡くなって既に2か月以上が経つが、 いまだに長い喪の作業は続いている。 もちろん「悲しみのあまり仕事も手に付かず、泣き暮れてばかり」 なんてことはない。 何もかも投げ出して傷心の旅に出られるような余裕はないし (金銭的にも時間的にも)、 そもそも仕事は自分の感情から目を背けるための格好の逃げ場にもなる。 それでも、何かの拍子に思い出しては、胸が詰まる。 ずっと猫の死を引きずっているのは、 そしてこの先も当面は引きずりそうなのは、 安らかな死を迎えさせてあげられなかっ

          ペットロスはいつまで続く?

          存在しない猫の存在感

          しばらく前に、一緒に暮らしていた猫が旅立った。 以来、悲しみに押しつぶされそうになりながら、どうにか踏ん張って生きている。「ペットロス」というものがこれほど辛いとは。 おそらく自分が彼の「死」に関与してしまったことへの後悔、 それから罪悪感があるせいだと思うが、それについてはまた別の機会に振り返ろう。 良く食べて、良く眠る、健康優良児のような逞しい猫だった。 老猫なのに毛並みが艶々していて、 美しい緑色の目も輝きを放ち続けていた。 人間ときちんとアイコンタクトを取って意思

          存在しない猫の存在感

          消えた後に残るもの〜柴田元幸➕大竹雅生『鍵のかかった部屋』 増刷記念セッション

          柴田元幸➕大竹雅生『鍵のかかった部屋』 &『幻影の書』増刷記念セッションに行ってきた。 場所は三軒茶屋のブックカフェ、トワイライライト。 学生の頃から大好きなポール・オースターが亡くなって4ヵ月が経ち、そろそろきちんと悼む機会を持ちたいと思っていた。 折りしもユリイカから特集本が出たと知り、あわててネットで注文。 ついでにオースターについてネット検索していて見つけたのが今回のイベントだった。 「大竹さんのギターにのせて柴田さんの朗読を聴けるなんて!」と心踊るも束の間、すで

          消えた後に残るもの〜柴田元幸➕大竹雅生『鍵のかかった部屋』 増刷記念セッション

          老猫の命を考える

          うちの猫はもうすぐ22歳。 食べるとき以外はずっと寝ているけど、 顔つきにそれほど「老い」は感じられない。 明け方に何度も起こされるとか、 食事を少量ずつ、何度にも分けてあげなくてはならないとか、 世話がとても大変になってきた。 心配なので泊りがけの旅行に行くこともできない。 仕事も在宅ワークに限っている。 つまり、完全に彼が自分の生活の中心になっている。 私の母親が飼ってきた猫とはいえ、 それを引き受けたからには最後まで面倒を見る責任がある。 そう思って猫の奴隷生活を続

          老猫の命を考える

          シニア猫のお食事問題

          我が家の21歳になる老猫が最近よくドライフード(俗に言うカリカリ)を吐くようになった。 歯も消化力も弱っているのに、食欲は旺盛なので、ガツガツ早食いしちゃうためだ。 ウェットフードのほうが食べやすく消化もいいとわかっているけど、慢性腎臓病を患っているため「食事療法食ドライフード」を主食としている。 なので、ウェットフードもあげつつ、ドライを主に食べてほしい。 そこでまず試してみたのが、ぬるま湯でふやかして食べさせる方法。 単体ではおいしくなさそうなので、ウェットフードに

          シニア猫のお食事問題

          猫と眠る

          うちの老猫は私のベッドのど真ん中でお眠りになる。 昨年の夏、実家で飼えなくなったために引き取った猫は、21歳を少し越えたところで、足取りはよろよろとおぼつかなく、食もだいぶ細くなっている。それでも我儘ぶりは健在で、早朝4時頃目覚めると私の頭皮に爪を立てて起こし、何か面白くないことがあると容赦無く噛み付いてくる。 私が食事をするときは食卓に何が載っているかいちいち検分しないと気が済まず、私がオンラインヨガをしていると決まって近寄って来て、マットの真ん中に寝そべって邪魔をする。

          猫と眠る

          DeepLとChatGPTの出現で、翻訳家は失業するか?

          私は英語ができないのが悩みの英日翻訳家。 主に、オンライン・メディアの翻訳を仕事としている。 こんな私が仕事をいただけているのは奇跡のようなものなので、納期が厳しくても、基本断らず、ありがたくお引き受けしている。 さて、翻訳家なら誰でもChatGPTの存在が気になっているだろう。 すでにしばらく前から登場している機械翻訳サービスDeepLだけでも脅威だったが、そこにChatGPTが加わり、いっそう翻訳家の将来に影を落としている。こうしたAIツールの発展によって、他の多くの仕

          DeepLとChatGPTの出現で、翻訳家は失業するか?

          英語のできない英日翻訳者の悩み

          私は現在、「英日翻訳」を主な仕事にしている。 もう少し詳しく説明すると、オンラインメディアの記事翻訳で、ビジネス、IT、科学、文化、芸能などありとあらゆるジャンルの英語記事を日本語に訳している。 小説を訳すほど凝った日本語にする必要はなく、どちらかというとスピードが求められるため、「ほどほどに読みやすい日本語にする」ことが使命だ。 元記事は興味深いものが多いため、それなりに楽しいが、実をいうと私は英語能力が低いため苦労も多く、時間もかかる。そう、クライアントには口が裂けて

          英語のできない英日翻訳者の悩み

          【ゲルハルト・リヒター展】〜真実はもっと悲劇的で、計り知れないほど恐ろしい

          東京国立近代美術館で開催されていた「ゲルハルト・リヒター展」に、滑り込みで行くことができた。 リヒターにも、抽象画にも詳しくないのだが、ホロコーストを主題に描いた4点の巨大な抽象画から成る作品「ビルケナウ」(2014年)だけは見ておきたかったのだ。 一見、単なる巨大な抽象画だが、塗りこめられた絵の具の下には、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で囚人が隠し撮りした写真を描き写したイメージが隠れているという。隣の壁にはその元となった4枚の写真の複製も展示されていた。 ア

          【ゲルハルト・リヒター展】〜真実はもっと悲劇的で、計り知れないほど恐ろしい

          フィリップ・K・ディック 『高い城の男』

          フィリップ・K・ディックの小説を読んだのは、高校生のときに『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで以来、実に20年ぶりになる。アマゾン・プライムで同書を原作とするドラマ・シリーズを数回見て、正直あまり面白いとは思えなかったので中断し、原作はもっとマシなのでは…と期待を込めて手に取った。思えば『アンドロイド…』の方も、かの大ヒット映画『羊たちの沈黙』を見たことがきっかけで読んだのではなかったか(こちらの映画は傑作の部類だったが)。 舞台設定はかなり魅力的である。 だって

          フィリップ・K・ディック 『高い城の男』

          ゴダールの死に思う、「自分の人生の終止符を打つ決断」

          映画監督ジャン=リュック・ゴダールが亡くなった。 私が見たことのある作品はごくわずかだ。 『小さな兵隊』、『カルメンという名の女』、『パッション』、『さらば、愛の言葉よ』、そして『右側に気をつけろ』を途中まで。 『小さな兵隊』以外は明確なストーリーがなく、どれも映像やセリフから受ける印象は鮮烈だが、見終わって頭の中は「???」という感じになった。 『さらば、愛の言葉よ』は公開時に映画館で見た。3Dの使い方が面白く、なかなか楽しめたが、実はいちばん記憶に残っているのは、映画

          ゴダールの死に思う、「自分の人生の終止符を打つ決断」