ペットロスはいつまで続く?
愛猫が亡くなって既に2か月以上が経つが、
いまだに長い喪の作業は続いている。
もちろん「悲しみのあまり仕事も手に付かず、泣き暮れてばかり」
なんてことはない。
何もかも投げ出して傷心の旅に出られるような余裕はないし
(金銭的にも時間的にも)、
そもそも仕事は自分の感情から目を背けるための格好の逃げ場にもなる。
それでも、何かの拍子に思い出しては、胸が詰まる。
ずっと猫の死を引きずっているのは、
そしてこの先も当面は引きずりそうなのは、
安らかな死を迎えさせてあげられなかったことへの悔いと
罪悪感があるためだろう。
夏の初め、食欲旺盛だった愛猫の食欲が不意になくなり、
病院へ連れて行ったところ、腫瘍があることが判明。
手術するかどうかの選択を迫られた。
すでに老齢なので、おそらく自分と関わりのない猫であれば、
手術はせずに緩和ケアに留める選択をしたと思う。
だが、つい愚かな「欲」が出てしまった。
「手術したら食欲が戻り、また元気な姿を見せてくれるのではないか」
という願望に逆らえなかったのだ。
夫の意見も「このまま、ただ弱っていく姿を見たくない。長生きできる可能性があるなら、手術に賭けてみよう」というものだった。
手術後、いったんは元気を取り戻したかのように見えた。
食欲も少しずつ戻ってきて、ささやかな希望を抱かせてくれた。
ところが、ある夕方、容体が急変し、苦しい最期を迎えた。
その後、ペットを亡くした多くの人たちと同様、
私も癒しがたい苦しみに苛まれ続けている。
本来、ゆっくりと安らかに旅立てたはずだったのに、
それを奪ってしまったこと。
手術と入院という、耐え難いストレスを与えてしまったこと。
「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と、
後悔の嵐に襲われている。
この気持ちをどう消化すればよいのか。
聞いた話によると、つらい経験をした場合、
「悲しみなどの感情」にふたをするのではなく、
その「感情」と向き合い、きちんと感じてあげることが大切らしい。
感じてあげないと、感情はいつまでも心に留まり続けてしまうから。
とはいえ、感情の消化には長い時間がかかる。
感情としっかり向き合ったとしても、
昔のつらい経験をいつまでも引きずることは、そう珍しくはないだろう。
あるいは、そもそも「ネガティブな感情」を無くそうとすること自体が間違っていて、それを抱えながら生きていくのが、人としてあるべき姿なのかもしれない。
生きていれば、ポジティブ・ネガティブ、両方の出来事に見舞われるものだし、どちらも人生にとっては必須の要素なのかもしれない。
と、あれこれ考えてしまうが、結局のところ
何もせずとも、時間の経過によって悲しみは徐々に薄れていくのだろう。
そんな自然の流れに任せてしまうのが、唯一にして最善の解決策ということになるのだろう。
「自分が悲しんでいても亡くなった猫は喜ばない」とか、
「元気に生きた姿を、そんな猫と過ごした幸せな日々を記憶に留めるべき」とか、
ペットロスを克服するための考え方は多々あると思うが、
今の私にはどれも「気休め」でしかない。
自分を罰し、苦しめることを望んでいるんじゃないの?と問われたら、
それも否定はできない。
過剰に「死」を恐れ、過剰に「生」にしがみつく。
そんな人間の愚かさを、苦い思いで噛み締めるしかない。
少なくとも今のところは。
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