ストレンジラブ博士? / 「ラ・ジュテ」
ゴダールやトリュフォーたちが"ヌーヴェルヴァーグ"だと気勢を上げていた頃、1人のフランス人が風変わりな映画、それこそ芸術と呼ぶに相応しい作品を撮った。クリス・マルケル監督の1962年の映画「ラ・ジュテ」(原題は La Jetée)である。
クリス・マルケルという英語風の名を芸名にしていた写真家/映画監督のこの作品は、わずか28分の短篇映画だ。しかも、ほんのわずかなシーンを除いて、映画のほぼ全篇にわたり静止画が連続し、ナレーションによって物語が語られる。ところが、この"物語"は示唆するテーマが非常に多く、たとえばテリー・ギリアム監督の「12モンキーズ」は本作が元ネタである。
映画は、はじめに説明から始まる。すなわち、本作の主人公は幼少期にオルリー空港の送迎台(La Jetée)で見かけた女と、そこで起きたある男の死のイメージに取り憑かれているーーと。そして、舞台は第三次世界大戦の後、崩壊したパリのシャイヨ宮の地下になる。生存者たちはそこで、過去や未来へタイムトラベルするための人体実験をされている。崩壊した世界を再建するだけのエネルギーを未来から持ち込むため、主人公もまた奇妙な実験台の上で器具を付けられるのだったーー。
まず、こうした物語の基盤には、核戦争への恐怖があった。本作が発表された8ヶ月後にキューバ危機が発生し、その約1年後に「ストレンジラブ博士」が公開されている。また、フィリップ・K・ディックは「ラ・ジュテ」と同年に、枢軸国が勝利した世界を描いた「高い城の男」を発表した。第二次世界大戦の終結から間もないなか、再び破滅が迫っている冷戦の現状に対して、強い問題意識があったのだ。
「ラ・ジュテ」は静止画なので会話はなく、ほぼ全てがナレーションによる解説で進むのだが、例外として使用されている音声は、人体実験をしている場面での科学者たちによるドイツ語の会話である。もちろんこれは、もしナチスが勝っていたら、という空想の産物ではなく、アメリカがドイツ人科学者たちを米国へ渡航させたペーパークリップ作戦を参照したものだろう。冒頭に掲げた写真は、そのドイツ人科学者と思しき男なのだが、ストレンジラブ博士に見えるのは僕だけではないだろう。つまり、科学を人類が悪用してしまうことへの恐れがある。
さて、主人公が実験のなかで女、あるいは女の記憶、幻影を追いかける様子は、アルフレッド・ヒッチコック監督の1958年の映画「めまい」のオマージュである。このことはクリス・マルケル監督本人が認めている。記憶すなわち過去の女にとらわれ、現在があたかも過去の再生のようになっていく姿は、人がいかに過去に縛られ、そして現在しか生きることができないという当たり前の事実を突き付けてくる。タイムトラベルとは、過去を生きることではない。人は現在しか生きることができないということを再認識するための仕掛けなのだ。
また、主人公による過去への執着、そして過去での群衆や家族のイメージ、また未来での大きな破壊の夢、主人公と女が引き裂かれてしまう幻想、こうした物語のパーツは全て「罪と罰」におけるラスコーリニコフのオマージュだろう。フランスの実存主義、あるいは当時の思想家たちにはドストエフスキーからの影響が少なくなかった。
長くなると面倒なのでそろそろ終えるが、たった28分の映像でも、これだけ観客に何かを示唆することができるという良いお手本である。