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これ映画にしたの!? / 「異邦人」
若い頃に読んだ小説のなかで特に気に入った作品の一つがアルベール・カミュの著した『異邦人』(L'Étranger)だ。僕はこの本に影響されて西洋哲学を学び始めた。これ1作でノーベル文学賞を受賞したと言われる作品だが、まさか映画になっているとは大人になるまで知らなかった。良い文学は映像に向かない、ということが僕の持論なのだが、1967年に「異邦人」(Lo Straniero)を撮ったのはルキノ・ヴィスコンティ監督である。黒澤明監督とヴィスコンティ監督は、文学を映画に変換することがとても上手だ。センスのなせる業だろう。
本作の主人公ムルソーを演じたのはマルチェロ・マストロヤンニなのだが、この配役は非常に良かった。二枚目でありながらどこか浮世離れしたような雰囲気を帯びているマストロヤンニの表情こそムルソーに適任である。
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また、ムルソーに愛を囁く女マリーをジャン=リュック・ゴダール監督の映画でお馴染みのアンナ・カリーナが演じている。
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フランス文学を代表する小説の映画だが、主要キャストがイタリア人(マストロヤンニ)とデンマーク人(カリーナ)であることも「異邦人」らしくて良い。
ここは映画を語るブログなので哲学や小説そのものに関わることは割愛するが、原作の小説が帯びている、登場人物が世界から取り残されているような状況がうまく表現されている。カミュ本人が本作を観たらきっと喜ぶだろう。
日本人は"ロードムービー"とか"群像劇"とか、バカの一つ覚えのように物事をジャンル分けすることが大好きなので、「異邦人」という小説にはセット販売のように"不条理を描いた"と書かれている。そういう風に気軽に専門用語を使う人には「不条理って何ですか、他の言葉で言い換えてみてください」と言いたくなる。だいたい専門用語や耳慣れない造語を使用する者は、物事を理解していない。教養があるフリをしたいだけだ。
"太陽のせい"というセリフで有名な殺人によってムルソーは監獄へ行き、読者/観客は人が生きていく上での"理性"だとか"宗教"などの意味や意義を再考するよう促される。僕はまさにその通りだと思い、洋の東西を問わず哲学に関わる本を片っ端から読んだ。人が考えてきたこととは何ぞや、という好奇心あるいは探究心は、この宇宙も記述できる物理学が専門の僕には、とても新鮮なことだった。今の僕はこのような好奇心がつくりあげたものなので、そこらへんの"賢く思われたい"連中とは土台からして異なる。見栄の上に乗るものなんて高が知れる。
カミュの著作『異邦人』を読んだことがある方にはオススメできる作品である。マストロヤンニの演技も良かった。ただ、こうした映画なので、いかんせんマイナーすなわち人気のない作品であり、なかなか鑑賞する機会がないかもしれない。NetflixやU-NEXTなどの動画配信サービスはせっかく有料なのだから、優れた映画監督の作品は全て常に配信しておいてほしい。そのほうが未来の良い顧客を生み出すことができるはずだ。