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美しいニコールの代表作 / 「めぐりあう時間たち」

女の美しさにも色々あるだろうが、僕にとってハリウッドきっての美人といえばニコール・キッドマンだ。若い頃のニコールはCGかと錯覚するような美貌を誇っていて、それゆえに最近老け込んでいくことがストレスとなって美容整形しているのではないかと思う。持っている者にしか分からない悩みだろう。
ニコール・キッドマンの代表作はやはり2002年の映画「めぐりあう時間たち」(原題は The Hours)だろう。ニコールは本作で特殊メイクを施して作家のヴァージニア・ウルフを演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した。この演技は特筆に値するものだった。メリル・ストリープとジュリアン・ムーアという演技力のある2人が異なる時代設定で登場する映画だったのだが、この2人の登場シーンの印象をかき消してしまうほど、ニコールの演技の迫力は真に迫るものだった。
この映画が出来の割に知名度の上がらない理由は、原作にある。つまり、本作はヴァージニア・ウルフの著した「ダロウェイ夫人」を下敷きにした作品なので、ヴァージニアを愛読する人の多い白人の女でないと、とっつきにくいのだ。イニャリトゥの「バードマン」が一見すると売れなくなった俳優の話でありながら、実はレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を下敷きにしているように、映画はたまに特定の文学を土台にして撮っている。
さて、本作は3つの異なる時代が交互に映し出されていく。1923年のロンドン郊外のシーンでヴァージニア・ウルフを演じたのがニコール・キッドマンだ。ヴァージニアはこの映画が土台にしている「ダロウェイ夫人」をまさに執筆中である。1951年のロサンゼルスで第二子を妊娠中のローラはジュリアン・ムーアが演じた。ローラは「ダロウェイ夫人」を愛読し、満たされない生活にストレスを抱えている。そして2001年のニューヨーク、編集者クラリッサ・ヴォーンを演じたのがメリル・ストリープだ。物語はこの3人の"悩む女"を追いかけていく。ちょうどダロウェイ夫人が再現されていくかのようなストーリー展開は原作となった小説の力だろう。ただ、映像にするとどうしてもシーンが飛び飛びになってしまう印象は拭えない。もし、この映画が、ニコール・キッドマンがヴァージニア・ウルフを演じる、というだけの作品だったとしたら、おそらく世紀の傑作になったと思う。そのくらいニコールはヴァージニアそのもののように感じた。スクリーンの中の演技とは思わせない迫力は滅多に観られるものではない。
ヴァージニア・ウルフという女の作家は20世紀の初頭、イギリスの作家や前衛芸術家たちの集うサークルの一員だった。女が不当に抑圧されていることに対して作品のなかで明白に抗議し、当時の人びとの生活や心情を緻密に描くスタイルで評価を受けた。フェミニズムなどが叫ばれる今日では"先駆者"の1人として、主に白人の女から強い共感を得ている作家である。
「ダロウェイ夫人」はクラリッサ・ダロウェイの1日を精緻に描いた作品だ。自宅でパーティを開く予定のクラリッサのもとへ、以前付き合っていた男が訪ねてくる。また、セプティムスという幻覚に悩まされている退役軍人が窓から投身自殺を遂げるーー。この「ダロウェイ夫人」のあらすじにそったものが、2001年のクラリッサ・ヴォーンの登場シーンである。そして、現代のセプティムスとなったリチャード(エド・ハリス)の少年時代が1951年のロサンゼルスだ。母親であるローラ(ジュリアン・ムーア)が「ダロウェイ夫人」を愛読しているという設定になっている。少し設計されすぎた話だが、面白くないわけではない。
また、ジュリアン・ムーアも本作の演技がベストだろう。心中の不幸を隠しながら生きる姿がよく似合っていた。この作品はスクリーンの中にほとんど男が登場しない珍しい映画である。扱っているテーマも"女にとって何が幸せなのか"ということだから、ぜひ女が観るべき映画だ。

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