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アメリカ風ポトフ / 「死刑台のエレベーター」

才能がある者は、いつも独走している。フランスの映画界がヌーヴェルヴァーグだかハンバーグだか、要領を得ない作品ばかりになっていた頃、25歳のルイ・マルは「死刑台のエレベーター」を撮った。
この映画は同名の小説が原作なのだが、ルイ・マルはこのミステリーじみた話をノワール調で撮りながら、しかしストーリーを次々と展開させることよりも、パリの街を彷徨うフロランス(ジャンヌ・モロー)の姿を映すことに焦点を当てていた。夫の殺害が遂行されたのかどうか、また、それを頼んだ愛人のジュリアンはどこへ行ったのか、ジュリアンのクルマの助手席にいた若い女は誰なのか、そういった不安や焦燥感を抱えてパリの夜道を往来する様子は、ヒッチコック監督の映画のようなサイコ系の風味がある。
しかも、映像にのせて流れてくるジャズは、マイルス・デイヴィスによるものだ。この演奏は名盤「カインド・オブ・ブルー」が発表される前年のものである。あまりにも音楽が素晴らしいので、スクリーンの中で起きている殺人事件などどうでもいいことのように思えてくるほどだ。僕はマイルスの音楽を色々と聴いてきたが、この映画での演奏は特に良い。
ジュリアンの愛車もシボレー・デラックスだし、この作品はアメリカの匂いがするフランス映画だ。おそらく若きルイ・マルはアメリカの映画や音楽に可能性を感じたのだろう。第二次世界大戦の前に生まれた人のなかには、戦勝国であるアメリカの文化に憧れる者が少なくない。僕の父親もそうだった。
劇中でジュリアンのクルマを盗むルイとヴェロニクは明らかに頭の悪い人物として描かれているのだが、この二人の姿を見ていると、本作の2年後に発表されたジャン=リュック・ゴダール監督の映画「勝手にしやがれ」でのミシェルとパトリシアを思い出す。
若い頃はジャンヌ・モローの美しさに気付かなかった。優れた映画は、時を経て鑑賞してみると、全く異なる視点から観ているような気分になる。それが成熟するということだろう。

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