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心のなかの映画館 / 「ニュー・シネマ・パラダイス」

年齢を重ねると映画の感想も変わるものだ。ジュゼッペ・トルナトーレ監督の1988年の映画「ニュー・シネマ・パラダイス」といえば、映画好きなら知らない人はいないほどの人気作だが、若い頃はアルフレードのことがよく理解できていなかったと思う。僕はかつて124分の国際版を観ていたはずだが、今日では4K修復され、174分のディレクターズ・カットが公開されている。
子のいないアルフレードは主人公トトの父親がわりであり、仕事場である映画館で親しく交流するのだが、しかしトトに対して映写技師のような仕事に就いてはいけないと何度も説いていた。字を読むことができず、小学校の卒業試験を受けるアルフレードは教育のない者として描かれている。休日もあまりなく、身体に負担が大きく、教育のない者がやるような仕事をしてはいけない、もっと良い人生を送るためにもローマへ行って努力してほしいーー、それがアルフレードの願いだった。そのためにアルフレードは、トトがエレナとの関係を断ち切れるよう、エレナからトトへの言伝を伝えなかったシーンがディレクターズ・カットで描かれている。つまり、若い頃の恋や友情など、そういった勢いだけのものに身を任せてしまうと、長い人生で歩むべき線路を間違えてしまう、すなわち田舎の村から出て行かなくなるということをアルフレードはトトに示し続けた。これはヴィスコンティ監督が「若者のすべて」で描いた母親ロザリアの真逆の態度である。マンマや故郷によって人生が台無しになりかねない、ということだ。おそらくシチリア出身のトルナトーレ監督本人の実体験がここに反映されているだろう。
僕はアルフレードを見ていると父を思い出す。東京へ行け、教育のある者になれ、世界は広いぞ、いつもそればかりだった。僕は実家を飛び出るように東京へ進学し、数年に一度しか帰省せず、年を重ね、父を亡くしてから思うが、これ以上の教育はおそらくなかっただろう。親のなすべきこととは、子がまだ見えていない世界があることを教えてやることだ。
劇中でトトはアルフレードの葬式のためにシチリア島へ帰省し、朽ち果てたパラダイス映画館が取り壊されるところを目撃する。街は古びていき、好きだったエレナは年を重ね、父親がわりだったアルフレードが世を去るように、人生は時が過ぎていくのだから、本当の"映画"とは思い出なのだというメッセージである。キスシーンばかりを繋ぎ合わせたフィルムを鑑賞しながら、トトはシチリア島の思い出という映画に涙した。原題の Nuovo Cinema Paradiso (新しいパラダイス映画館)とは、心のなかにいつでもある思い出のことだ。
本作は「揺れる大地」のようなイタリア映画から「ローマの休日」まで、古い映画の名作がたくさん上映される。昔の映画館といえば、タバコの煙があちこちからたちのぼり、弁当を食べている者、映画そっちのけでキスをする男女、いびきをかいている者、いろんな人たちがいた。TOHOシネマズしか知らない世代には信じられない光景だろう。未成年の僕はこっそりタバコを吸いながら洋画を鑑賞し、早くこういう世界に行ってみたい、と願っていた。数年前にその映画館があったところを約30年ぶりに歩いてみたが、もはや建物の跡形もなく、今ではスーパーマーケットが建っていた。

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