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down the river 最終章⑪

ユウは走った。
さほど広くない店舗の中を慟哭の中全速力で走った。
目指すはメイクルーム兼休憩室だ。

「うぅ…わぁあ!!失ってたまるか!こんなところで!!全部失ってたまるかよぉお!!逃げ切るぞ!逃げ切るぞ!俺は逃げ切るぞ!クソ!クソッ!!」

ユウは走りながら半ば諦めていた。
この店舗の中に自分の味方はいない。
留美は自分を暴力団に売り、佐々木はきっと留美の言いなりなのだろう。
それは元々あまり良くない上にパニックとなったユウの頭脳でも瞬時に理解出来ていた。

「トット!!お前…!この!クソッ!!おい!トットぉ!」

ユウはメイクルーム兼休憩室に辿り着くと、乱暴にその扉を開けて大声で怒鳴った。
佐々木はユウを見送ったままの位置に座り、その体勢、その表情もまるで変わらない。
そして佐々木が畳んだユウの洋服が置いてある位置も変わらない。

「トット…お前…売ったな!!」

「…留美さんはミスを犯した…。」

「あぁ!?」

ユウはメイクルーム兼休憩室の扉を閉めると急いでソファーとメイク用の椅子、棚を扉の前に起き、頼りない足止め措置を行なった。
ユウはそのままの勢いで佐々木が座っている場所の横に置いてある自分の服に手を伸ばすと、佐々木は急な反応を示し、服を両腕で隠した。

「おい、トット、服をよこせ。」

「駄目だよ…ユウ。渡せない…。」

「よこせ!!」

ユウは佐々木に飛びかかった。
しかし中学、高校の間部活で鍛えてきた佐々木の身体能力の前にユウの身体能力は余りにも拙すぎる。
佐々木は女らしい仕草ではあるが飛びかかってきたユウを両手で弾き返した。

「留美さんはミスしてしまったんだ!!」

「知るかよ!留美さんのミスでなんで俺がヤクザに売られるんだ!?そんなもん知るか!いいから服をよこしやがれ!!」

ユウは再び佐々木に挑んでいくが何度挑んでも結果は同じだった。
ユウの身体は弾き返され、尻もちをついてしまった。

「てめぇ…」

「ユウ!留美さんと!あたしを助けて!!留美さんとあたしのこの店を助けて!!お願い!」

「どういう事だよ!!」

「留美さんは一生懸命だった!あたしとお客様を本当に大切にしてきた!ここであたし達は消える訳にはいかない!」

「説明になってねぇんだよ!」

ユウは怒鳴りながらも服に手を伸ばすが佐々木に弾き返される。

「かん口令が…全て上手くいく訳がなかった…あれほどお客様が増えれば当然口を割る人間だって出てくる…書面での契約なんかただの留美さんやあたしからの脅し文句に過ぎない…それに気が付いたお客様の1人が…ハイ・ブリリアントにたれ込んだ!売ったのよ!あたし達を!!ハイブリの仕事は速かった!地元に根付く暴力団の若頭が副社長だものね!」

佐々木は早口でまくし立てた。
そして泣きながら頭を両手で抱えた。

「ハイブリ側は…警察にたれ込んで店も客も一網打尽にする事もできるし…武谷組の力で店を潰す事もできる…そしてそうならないそうさせない為の条件は…」

「こらこら、ユウ、出てきなよ。こんな狭い店ん中で鬼ごっこしたってすぐに捕まるよ。トットちゃんもいるのかな?」

扉が少し開いたが、ユウが施した足止めで開く事は出来ない。
隙間から松川の不気味な横顔と声のみが侵入してくる。
松川の声を聞いたユウは逆に段々と冷静さを取り戻してきた。

「トット…条件て何だよ。」

「…あたしか…ユウのどちらかを使用人兼男優として差し出す事…。そして留美さん…も…」

「留美さんも?」

「もう…留美さんの撮影は終わったの…留美さんは泣きながら言ったわ!!トットは必ず守るからって!!」

「…で…俺を差し出す…と…。ふぅん…」

ユウが呆れた様に言うと、バァンと激しい音と共に木製の扉が変形した。

「おい、ガキ!鬼ごっこは終わりだ!開けろ!こらぁ!」

ユウの男性の象徴を無心で咥えていた筋骨隆々の男が怒鳴りながら扉を激しく叩いている。
その後ろで松川が冷たく言い放った。

「トット、ユウに服を渡すなよ。裸じゃあ逃げられないからね。渡したら殺すぞ?」

チャキ…ガチャ…

ユウの耳にドラマや映画でよく聞く音が飛び込んできた。

「嘘…け、拳銃…」

ユウの顔から血の気が一気に引いていく。
そして扉の方を見ると実物のそれが鈍い輝きを放っているのが見えてしまった。

「ユウ。留美さんやトットも無事じゃ済まないよ?」

「松川…」

『裏切り…裏切られ…奪い…奪われ…痛めつけ…痛めつけられ…結局人の為とか…愛とか…絆とか…絵空事か…なら…俺も…そうやって生きなきゃ…な…』

ユウは驚くほど冷静に辺りを見回した。
そして尾田が放った言葉がユウの脳内で再生された。

「ユウ、生きるという事は戦いだ。そしてその戦いは死ぬまで終わらない。自分で挑んだ戦いは自分で決着を付けなきゃいけない。わかるか?その考えの軸になるのはあくまでも自分がどうしたいかって事だ。」

『俺は自分の為だけに生きる…自分が…どうしたいかって事だ…か…』

ユウは走り出した。
目的は佐々木が抱えている服ではない。
ソファーの横に転がっていたPHSに手を伸ばした。
ユウの視界が狭まり、全ての動きがスローに見える。
あと少し…あと少し…もう少し…
ユウの手に冷たいPHSの感触が伝わる。

「うわぁあ!!」

ユウはPHSを手に入れると歓喜の声を上げた。
状況は変わらず絶望的ではあるがこの事実はユウに勝利を確信させたのだ。
そしてユウは呆気に取られている佐々木の方を見ると深々と頭を下げた。

「トット、短い時間だったけど楽しかった…俺に居場所を与えてくれて本当にありがとう。留美さんにもお礼言いたいけど…こりゃ無理だな。」

佐々木は何かを理解した表情をすると、すぐにその表情が変わり絶叫した。

「行かないで!!ユウ!!」

「おいおい、裸でお出かけする気か?おい!さっさとこじ開けろ!!」

松川は男優に怒鳴ると、男優は更に力を込めて扉を殴打し始めた。
ユウはそれを一瞥すると丸い椅子を手に取った。

「トット、伏せろ。」

佐々木はユウの言葉には従わなかった。
ユウの意図を理解したからだろう。
ユウの言う通りにすればユウは自分を置いてここから逃げ出すのだろう。

「わかったよ、トット。さよなら、トット。んでさ…その…ごめん…」

ユウは佐々木の右頬を手に取った椅子で殴った。
嫌な感触だった。
椅子の足を通してユウの手に佐々木の肉感がグニャリと伝わってくる。

『あぁ…気持ち悪い感触だし…嫌な音だ…。映画とかアニメじゃ派手な音が鳴るシーンだよな…あんなもん嘘っぱちだ…』

ユウはその感触に鳥肌を立てた。
冷気に触れたわけでも、快感や恐怖によるものとも違う。
佐々木はそのままソファーに倒れ込み動かなくなった。
ユウは服を奪おうとしたが佐々木は服を抱き込んで倒れてしまいユウの力では引き出す事は出来ない。

「クソ!この野郎!うぅおあ!!」

ユウは服を諦め、佐々木が倒れているソファーの後ろにあるガラス窓に椅子を投げ付けた。
ガラスは見事に割れてユウの逃げ道が出来た。

「ガラス…足…切れ…靴もどっかに隠してやがる…スリッパも…無い…でも…時間が…どうする…?」

履き物を確保しておくのは退路を塞ぐ初歩的な技術の一つだ。
ユウはきらめくガラスの破片を前に一瞬躊躇った。
身も心も痛みに弱いユウの勢いがガラスの破片を見て止まった。

『痛い…の嫌だ…痛…』

チキチキチキ…

気の所為だろうか、それとも本当に聞こえたのだろうか。
あのカッターの刃を出し入れする音だ。

「亮子…」

『背中押してくれてんのか…?それとも嘲笑ってんのか…?』

チキチキチキチキチキ…

ユウの耳にその音が迫ってきた。
耳にまとわりつく様な、今にも亮子の吐息が迫ってくる様な、耳鳴りの様な、暗く、悲しげで、不快な音だ。

「ふぅ…」

ユウは深呼吸をすると倒れている佐々木と今にも開きそうな扉を交互に見た。
そして下唇をギリと1度噛んだ。

「亮子、ありがとう。」

ユウはガラスの破片が散らばる窓へと走り始めた。
あと一歩で足から脳へと激痛が伝わる。
確実に訪れる激痛にユウは全く臆さなかった。

『亮子、ありがとう…お前がくれた痛みのおかげで…行ける、行けるよ!』

ザクッという音がユウの身体を通して耳の中で鳴り響く。
そして皮が破れ、肉が左右に爆ぜる感覚と激痛がほぼ同時にユウを襲う。

「ぐぅう!うぁあぉおおお!!」

ユウは絶叫しながら窓枠に足をかけ外へと飛び出した。

『行け!逃げろ!!逃げろ!』

血まみれの足に激しい痛みが襲う。

「痛い…痛ぇよ…でも…でも…大丈夫だ!俺にはこいつがある!」

ユウはそのまま店の横にある茂みへと身を隠し、PHSの電話帳を開き、一番上にある「尾田尊」に電話をかけた。

「ハァハァ…痛ぇ…ぐう…うぁ…出てくれ!尾田さぁん!!」

呼び出す事数十秒、ついに尾田が電話に出た。

「ユウ?どした?」

尾田の声を聞いたユウの目から大量の涙が流れ始める。

「尾田さん、ウック…尾田さん…」

「おい、何だよ…ユウ…どうした?」

「来て…尾田さん…助けて…〇〇駅北口…えぇっと、た、助けて!」

「〇〇駅?北口?何でそんなとこに?」

「尾田さん!お願い!助けて下さい!来て!助けに来て下さい!」

「落ち着け!俺がそこに行けばいいのか!?〇〇駅の北口!?そこのどこ行きゃいいんだ!?」

「尾田さん…〇〇駅北口を〇〇方面に進んで…一本目の十字路を右…〇〇公園って大きな公園があるんです…その道沿いにホワイトベールって飲み屋があります…その裏に…小さな神社があるんですそこのお社の中にいます…」

「お社ん中?なんでんなとこに…」

「隠れてないと見つかっちまうんです!道は…覚えました?」

「まぁ何度か〇〇駅は来た事がある。〇〇公園も知ってんよ。神社…神社な?わかった。今行ってやる。高速も通ってねぇとこだ。1時間はかかるぞ?大丈夫か?平気か?」

「服…何でもいいから捨ててもいいって服をお願い…し…ま…」

「服?あぁもう!電波か?服な!?」

PHSが途切れた。

「ハハハ…勝った…尾田さん…頼みます…痛ぇよぉ…うぅ…」

ユウは立ち上がり、内股になると男性の象徴を右手で、両乳房を左腕で隠した。
もうユウは意識せずとも女になっていた。
普通の男であれば両乳房を隠す必要はない。
痛みと出血で朦朧とした意識の中でも女が根付いているのだ。

「クソ…裏路地とはいえ、結構人がいる…」

神社までは100m以上ある。
人の波が途切れるその瞬間をユウは見逃さなかった。

「行こう…むしろアレか…裸で走ってる奴がいるって通報された方が俺の身は安全…か…いや、駄目だ!駄目だ!全てが曝け出されちまう!行くぞ!今だ!」

自身を奮い立たせる為に、ユウは早口で自分をまくし立てると血まみれの足で走り始めた。

「痛い…痛ぇよ…ハァハァ…ぐぁ!痛ぇ!!」

足の傷口に道に落ちている小石や何かの破片が食い込む。

「ハハ!あと少しだ!ハハハ!ぐぁぃ…イテテ…」

何人かとすれ違ったが意外と気が付かないものである。
まさか足を血だらけにした全裸の男が町中を走っているとは誰も予想していないからだろうか。
想定されていない事態が目の前にあったとしても理解するのに十数秒の時間を要する。
その間にユウは走り去ってしまっているので大きな騒ぎにはなっていないようだ。

「アハハ!着いた…。神様…ちょっとこの不浄な男をさ…その…かくまって下さいよ…ね…?お願いします…。」

ユウは足を引きずり、お社の前に立つと手を合わせた。
その時、神社の周辺で何やら怒号が聞こえた。
ユウは手を合わせたまま目を閉じ、震えながらその声に耳を傾けた。

「オイ!ソッチハ…!」

「ルミ!オマエモサガセ!」

「オマエラボサボサスンナ…ハヤク…」

「ハァハァ…探してる!俺を探してる!ハァハァ…」

ユウは慌てて震える手を更に震わせてお社の小さな扉を開けると中に入ろうとした。
しかし何かが傷だらけのユウの足に当たり激痛を蘇らせた。

「ぐぉあ!っつ!…さ、賽銭箱…?賽銭箱…か…ヘヘ…神様ここでかくまってくれたらさ…お礼弾みますって…だから…その後払いで…頼みます!」

ユウはもう1度パンと柏手を打ち、手を合わせると、賽銭箱を交わしてお社の中に入った。
そしてすぐに扉を綺麗に閉めて、その場に倒れ込んだ。
板張りの床で3畳程度のスペースに古ぼけた神棚があり、鏡が置いてある。

「ハァハァ…痛ぇ…あぁ…足ぃ見たくねぇな…きっとズタズタなんだろうよ…。」

脈打つリズムに合わせて激痛が全身を駆け巡る。

「ハァハァ…クッソ…俺は逃げ切る…逃げ切るぞ…」

ユウは横になったまま身体を引きずり、扉に施された賽銭を入れる為の穴から外を覗いた。
誰もいない小さな境内を見渡した。
人影すらないその景色を見て胸をなで下ろした。

「神様…世の中にはさ、全部手に入れちまう奴いるじゃんか…俺みたいな奴らはあぁなっちゃいけないのか…?何個もある未来から一番楽しそうな未来を選んでさ、駄目ならこっち、こっちは駄目だからこっち…あっち…こっち…ってさできる奴いるんじゃん?俺もあぁやりたいよ…あぁなりたいよ…なぁ神様ぁ…ウッ…ウッ…うぅうぅ…」

ユウの目から滝の様に涙が流れてくる。

「何もかも…ウッうぅ…手に入れようとしちゃ駄目なのかよ…うぅ…」

それからユウはしばらくうずくまり、泣き伏せた。
ユウは泣いた。
ひたすら泣いた。
余りにも浅はかな自身の判断に、怒りを通り越し、悲しみが湧いてきた。
そして一通り後悔し、悲しみを味わったその時、ザクッザクッザクッと境内を歩く音が聞こえた。

「ウッ…」

ユウは身体を強張らせ、口を右手で塞いだ。

「ハァハァ…誰…?ハァハァ…」

ユウは扉の穴を恐る恐る覗いた。
暗い中人影が近付いてくる。

「ま、松川達じゃなさそうだな…尾田さんが来るには早いもんな…ハァハァ…さ、参拝客?こんな時間に?こんな小さな所に?」

ユウは扉の穴から離れると奥の神棚の下まで身体を寄せて、震えながら膝を抱えた。
そして足音は止まった。
ユウは口を押さえ、極限まで息を潜めた。
ユウの緊張はピークに達している。

「…ユウ?いるのか…?」

「お、尾田さん!早かった…です…ね…」

ユウは扉を開けると、開いた扉に尾田の頭がぶつかってしまった。

「イテテ…てめぇ…。」

「すいません…尾田さん…尾田さん…尾田さん…嬉しい…。ありがとうございます…」

ユウの涙が再び滝の様に流れ始めた。
尾田はユウの涙ではなく足に目をやった。

「お前…足…なんだそれ?」

「ハハハ…もう歩けないですよ…フフ…尾田さん…細かい話は後でいいですか?すいません…。追われてるんです…長居は出来ません…。」

「追われてる?」

「はい…。」

「車回してくる。もう少し辛抱な。いいか?大丈夫か?」

「はい…。」

尾田はお社の扉を閉めると走ってその場を去っていった。
尾田の姿が見えなくなった瞬間、ユウは急に今までにない程の震えに襲われた。

「お、お…お、尾田さん、早く…早く、早く戻って来てくださささささ…さい…。尾田さん…尾田さん…。」

カチカチとユウの歯が鳴っている。
ユウは頭を掻きむしると髪の毛がごっそりと抜けてきた。
激痛と恐怖と凄まじいストレスで髪の毛が抜けてしまったのだ。
手に付着した髪の毛を見てユウは更に震えが酷くなった。

「尾田さん…早く来てよ…尾田さん…尾田さぁん…うぅあぁ…。」

ユウの体感時間では30分近くであるが、実際には5分程度経過した時、尾田が再びお社の扉を開けた。

「ユウ、来い。ほら。早く、乗れ。」

尾田が小さな声で呟くと、背中を向けてしゃがんだ。

「でも…尾田さんの服…汚しちゃ…」

「うるさい、助けてほしかったら言われた通りにしろ。」

「ハァハァ…ぐぅ…は、はい…。うぅ…」

ユウは身体を引き摺り、力を振り絞りお社から身体を出した。
そしてそのまま短い階段を芋虫の様に身体を捩らせて降りると、尾田の元へ辿り着いた。
しかし、尾田におぶさろうとしてもユウは激痛の恐怖から立つ事が出来ない。

「た、立てないです…もう…立てないです…尾田さん…」

ユウはうつ伏せの状態で、また涙を流し始めた。
尾田はそんなユウを見てため息をつくと、足を使って乱暴にユウを転がし、仰向けにした。

「な、何を!?」

「うるさいな。追われてるんじゃないのか?騒ぐなよ。」

尾田は小声でユウを叱り飛ばすと膝を落とし、ユウの脇と膝裏に腕を入れてそのまま抱き上げた。
所謂お姫様抱っこである。

「お、尾田さん…す、凄…凄い…力…」

「う、うっ…うるせぇ…しっかり掴んでろアホ…ぐっ…」

ユウは尾田の負担にならない様に無傷である両腕でしっかり掴まり、顔を尾田の首元に寄せた。

「尾田さん…」

「し、しゃ、喋んなって言ってんだろ?見つかったらどうすんだ。誰から追われてるか知らんが俺まで被害に合うんだぞ?」

「す、すいません…」

尾田は神社の道沿いに停めてある車へ辿り着くとユウをそのまま仰向けにして道路へ寝せた。

「道…道路って…車の下ってこんな光景なんですね…」

ユウは顔を横に向けて道路を見渡した。
ユウの呟きが聞こえているのか聞こえていないのか分からないが尾田の反応は無い。

「唾吐かれてさ…痰吐かれてさ…煙草を押し付けられてさ…ゲロまで吐かれてさ…潰れたネズミとか猫の内臓まで浴びてさ…それでも健気に…車とか人を支えてんだもんな…それに比べて俺…」

尾田はまたも反応せずに、後部座席のドアを開けた。
そしてユウを抱きかかえると後部座席へと雑に放り投げた。
尾田はユウの顔を見てニッと悪戯な笑顔を浮かべてから小さくため息をついた。

「もう…もう心配いらない。そこに服があるだろ?汚れとか気にしなくていいからとりあえず着とけ。」

尾田はそう言うと後部座席のドアを閉めて運転席へと乗り込んだ。
尾田はエンジンをかけると、アイドリングをせずにすぐアクセルを踏み、その場から猛スピードで走り去った。
ユウは尾田が持ってきた服を着ようとしたがそんな気力すらない。
とりあえずユウは5Lという規格外のサイズである尾田の服を掛け布団の様に、下半身に掛けた。

「ほら…シート焦がしたら殺すぞ?気を付けて吸え。」

運転席から尾田が煙草の箱とライターを投げてきた。

「マ、マルボロかぁ…」

「何だよ、不満そうだな。」

「いえ…尾田さん…ありがとうございます…助けてくれて…本当にありがとうございます…。」

ユウは煙草に火を点けると、ゆっくりと煙を吸い込み、上半身を起こした。
過ぎて行く夜の景色を見ながら煙を吐き出すと、ユウはフンと鼻で笑った。

「尾田さん…戦わなきゃいけないんですよね、生きてる限り…」

「…。」

「俺…まだ生きたい…だから…だから…だから俺戦います…戦い続けます…。」

「…すなよ…。」

「え?」

「シート…焦がすなよ…焦がしたら殺すぞ?」

「へへ…まだ生きたいって言ってんのに…タハハ…」

「…。」

対向車のライトに照らされた尾田の頬に小さな雫が煌めいていた。


※未成年者の飲酒、喫煙は法律で禁止されています。
本作品内での飲酒、喫煙シーンはストーリー進行上必要な表現であり、未成年者の飲酒、喫煙を助長するものではありません。

※いつもご覧いただきありがとうございます。down the river 最終章〜暴虐の記憶〜は本日から6日以内に更新予定です。
申し訳ございませんが最終章は6日毎の更新とさせていただきます。
更新の際はインスタグラムのストーリーズでお知らせしています。是非チェック、イイね、フォローも併せてよろしくお願いします。
今後とも、本作品をよろしくお願いします。
最終章〜暴虐の記憶〜の後が最終章 最終回となります。

down the river 最終章 最終回〜海へ〜

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