夢占い 〜怒りの夢をみるとその日はかならずいい事がおこる〜
少し前に私の友人に会った時のはなしですが、いつもの如くアレコレと話してる中で、『先日、怒りが湧き出る夢を見た』と言い出したんです。
そして、立て続けに『怒りの夢を見るとその日は必ずいい事が起こる』と言うんです。
実は、彼の得意は夢占いなんです。
なんでも、特に夢占いを勉強した訳でも無いのに自分の経験則から夢による未来予知が出来る様になったと言ってます。
怒りが生じれば何故良い事が起こるのか?
怒りと良い事にどんな因果関係があるのか?
どう考えても怒りと良い事とが私の頭の中ではつながらないので、何でやねんと質問をしてみました。
すると、彼曰く、
『人間には喜怒哀楽が備わっているけど獣にとっての喜怒哀楽は不完全な状態でしか無い。しかし、怒りだけは完全に備わっている。何故なのか?それは、怒りが無ければ弱肉強食の中で獣は生き延びる事が出来ないからです。』
と、言われました。
そして、つづけて曰く
『生物にとって怒りは生き延びるための防衛本能で、怒りの夢がシグナルとなって防衛本能を無意識のうちに発露するのです。』
更に、つづけて
『この様に、怒りの夢は防衛本能を無意識のうちに発露するため夢を見れば運気が上がってドンドン良い事が起こって来る。』
と自信を持って話しました。
ここまで話を聞いた時私の脳裏に閃くものが生じました。それは、以前お話しした事のあるヒフミ祝詞(下記 参照)についてです。
本文をまだ読んで無い方は下記も合わせて読んでいただければ幸いです。
こちらから入って下さい↓
もう一度おさらいすると以下のとおりとなります。
それは、
ひふみ祝詞のはじめの5文字とその意味は
ひ=光、太陽
ふ=風
み=水
よ=命、世
い=出現
です。
この5文字を素直に読めば、『光と風と水があれば命が出現する。』となります。
です。
今回対象となる言葉が怒りですから、言霊5文字の内から怒りの『い(出現)』が夢占いのキーワードとなります。
話は変わりますが、人間は理性と感情の持主です。そして、私達は理性で考えて物事の判断をする場合と、感情によって判断する場合があります。
理性による判断は、自分の持ち合わせている知識や経験等によって行います。一方、感情による判断は知識の様に判断基準が無い中で一定の判断を下している様に思います。
したがって、平常時の判断は理性による方が正確となります。
だとするなら、何故感情なるものが私達に必要となるのでしょうか?
恐らく私の友人が言う様に防衛本能の発露には理性では無く怒りの感情が必要となるのでしょう。そして、防衛本能が発露している時の感情による判断は正確性が極めて高くなると言う事でしょうか。
話を元に戻しますが、感情は私達の肉体から出て来ると言われています。
喜怒哀の感情を私達の肉体に当てはめるならば、喜は胸・チャクラに当てはめるならば第4チャクラ辺り、怒は溝内・第3チャクラ辺り、哀はお臍の下・第2チャクラ辺りから出て来る様です。
この関係を上記紹介の5大元素と一緒にまとめると下記の通りとなります。
なお、感情・身体とチャクラの関係については下記を参照して下さい。
ここから入れます↓
感情 身体 5大元素 チャクラ
喜 胸 金 第4
怒 溝内 木 第3
哀 臍下 土 第2
上記より、肉体から怒りが湧いて来る溝内の箇所は5大元素では木となります。
なお、感情(身体・チャクラ)と5大元素の関係についての投稿は未だですが、機会をみつけて投稿いたします。
木とは草木のことで動物の食糧の元です。ライオンの様な肉食獣は草木は食べません。しかし、ライオンが食べる動物は草木を食する草食動物ですからライオンは肉を食べると言っても結局のところ草木がなければライオンは肉を食すことは出来ません。
食糧の事を考えるならば、私達人間が神代の昔から食していたものがあります。それは今尚主食としている飯(いい:米、麦、粟)です。
そして、食を受け入れる臓器を私達は胃(い)と呼んでいます。
ここまでをまとめますと
①溝内は、5大元素では木(草)となり、木は私たちの食糧の元となること。
②き(木)は、き(気)となって、気は不食の民が食糧として吸い込むものであること。
③私達の主食は、いい(飯:米、麦、粟)と言うこと。
④溝内には、い(胃)と呼ぶ臓器があること。
となり、怒りが出現する溝内には食糧にまつわる内容と言霊の出現を意味する『い』にまつわる内容が沢山出てきます。
この様に考えたなら、食糧にまつわる原因が元で怒りが出現(い)することが分かります。恐らく、空腹になった時に怒りが出現(い)するのでしょう。
怒りは肉体が空腹を感じ取って、それでも尚飯(いい)が胃(い)に入って来なくなった時、溝内(胃(い))辺りから怒りが出現(い)すると言うことでしょうか。
怒りは体から出て来る感情です。ですからこの感情が一たび出始めたならば心身ともにバランスが崩れてどうしようもありません。私達がこの感情から解放されるならばすばらしい人生となる事でしょう。
その為にはどうすれば良いのか?
ヤッパリ、私達が不食の民となって私達が食糧にしている木(き)では無くて気(き)を食糧として初めて、怒りと言う感情からの解放が訪れるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂いて、
ありがとうございます。