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浅瀬の硝子

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ふと拾いあげる記憶のエッセイ
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#追憶

エッセイ|浅瀬の硝子Ⅶ_歯科衛生士の人

エッセイ|浅瀬の硝子Ⅶ_歯科衛生士の人

母が歯医者に行っている。
昔入れた詰め物を水銀の含まれないものに取り替えるのだとかいうことで、「けっこう大きい穴なの、子どものときにやっちゃったのかなぁ」とつぶやきながらいそいそと身繕いをして一時間ほど前に出て行った。

その歯科医院は私も子どもの頃からずっと通っていたところだ。実家を出てからの二年半はかかっていないが、その直前、大学時代の後半の二年間は、親知らずの抜歯と予後の観察のために頻繁に通

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エッセイ|浅瀬の硝子Ⅵ_行きつけのカフェ

エッセイ|浅瀬の硝子Ⅵ_行きつけのカフェ

行きつけのカフェにいる。
田園調布の駅前にあるペリカンコーヒー。
飲み物も食事もスイーツも美味しく、店内はデザインが行き届いて雰囲気も良いし、中の席は埋まっていてもテラス席ならたいてい座れる。
今日もテラス席に座って、ラズベリーティーソーダを飲んでいる。夏のリップオイルのようなあざやかな赤。自然な甘みが美味しくて、すぐになくなってしまう。さっきまで食べていたバニラアイストッピングのシュガーバターク

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エッセイ|浅瀬の硝子V_運動音痴だったこと

エッセイ|浅瀬の硝子V_運動音痴だったこと

今日の午後、窓を開け放していたら小学生らしい男の子たちの元気な声が聞こえてきた。なんとか君への応援と、運動会の歌。私にも歌った覚えのある白組の応援歌だった。もうすぐ運動会なのだろうか。たしかにそんな季節だ。

小学生の頃の私は運動がからきしだめで、足も遅ければボールも投げられず、体育は唯一の苦手教科だった。自分は「勉強はできて運動はできない子」だと思っていた。
中学に上がってもその苦手意識は拭われ

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エッセイ|浅瀬の硝子Ⅳ_ミモザ

エッセイ|浅瀬の硝子Ⅳ_ミモザ

近所に、ミモザの咲いている家がある。
スーパーへの行き帰りでよく通る場所だ。
私の住んでいる沼部駅前と違い、その辺りにはアドレスを裏切らず田園調布の雰囲気を備えた家が並んでいる。
その家も淡色にまとめられた端正な外観で、その二階の高さに枝をのぞかせるミモザの明るい黄色がちょうど映えている。

三月八日が国際女性デーでありミモザの日であるということを、私は女子高に通っていた頃から知っている気がする。

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エッセイ|浅瀬の硝子Ⅲ_好きな色

エッセイ|浅瀬の硝子Ⅲ_好きな色

恋人が、出かけたついでにお菓子を買ってきてくれた。三駅先のショッピングモールに入っている洋菓子店のギモーヴとケーキ。おやつの時間に、さっそくギモーヴを開けた。
立方体のギモーヴが並び、ピンクやベビーブルーなど、それぞれに淡い春の色をしていた。

好きな色は何か、と問われたら、少し迷ってしまうような気がする。
たぶん最初に出てくる答えはおそらく白で、でももう少し考えると青緑も好きだったことを思い出す

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エッセイ|浅瀬の硝子Ⅱ_沈丁花 別編

エッセイ|浅瀬の硝子Ⅱ_沈丁花 別編

昨日は友人のことを書いたが、沈丁花の花に呼び起こされる思い出がもう一つある。

高校生か大学生の初めの頃の夏のことだったと思う。母のお下がりの、胸元がざっくり開いた黒いワンピースを着ていた。(そういえばそのワンピースは、その日一度きりであとは着ていないような気がする。)
ボーイフレンドと会った帰りに恵比寿の駅前を歩きながら——もしかしたら、わざわざ足を止めていたかもしれない——花のついていない沈丁

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エッセイ|浅瀬の硝子Ⅰ_沈丁花

エッセイ|浅瀬の硝子Ⅰ_沈丁花

買い物に行く道で、沈丁花の花が一つだけ——蕾があつまった房の中の一輪だけ、咲いているのを見つけた。
もう桜でも咲きそうな暖かさの日には、あまりしっくりしない出会いだった。

沈丁花を見るたびに思う友人がいる。
それは彼女が沈丁花について書いた短歌を読んだことがあるからだが、それがどんな歌だったかは思い出せない。

彼女は中高の同級生だ。中学一年生のときに同じクラス・同じ図書委員・同じ文学部(文芸部

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