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エッセイ|浅瀬の硝子Ⅱ_沈丁花 別編

昨日は友人のことを書いたが、沈丁花の花に呼び起こされる思い出がもう一つある。

高校生か大学生の初めの頃の夏のことだったと思う。母のお下がりの、胸元がざっくり開いた黒いワンピースを着ていた。(そういえばそのワンピースは、その日一度きりであとは着ていないような気がする。)
ボーイフレンドと会った帰りに恵比寿の駅前を歩きながら——もしかしたら、わざわざ足を止めていたかもしれない——花のついていない沈丁花の植え込みに目をやっているときに、声をかけられた。顔はまったく覚えていないけれど、「お兄さん」と「おじさん」の間くらいの男性だった。「この辺で牛丼が食べられるところ知ってますか」と彼は言った。
恵比寿は行き慣れていたけれど牛丼屋は意識したことがなくてぴんと来なかったから、端末を引っ張り出して調べてあげた。検索しながら「なんでこの人は自分で調べないんだろう」と思ったけれど、その疑問はあたっていて、牛丼屋の場所を聞いた男は「いっしょに行きませんか」と言った。「違うとこでも」「お茶でも」と食い下がるのを、どれも苦笑いしながら断った。

ナンパされてついて行ったことは一度もない——と思ったが、近い出来事はあった。老女に図書館までの道を尋ねられて案内したあとに誘われていっしょにお茶をしたことはある。お友達になって、その後何度か文通をした。京都から知人の家を訪ねて来たという青年の道案内をしたときも、メールのやりとりをしたりいっしょにパンケーキを食べに行ったりした。偶然の出会いに憧れを持っている方なのだと思う。それでもナンパらしいナンパについて行ったことがないのは、危険を直感するからか。
この間、夕暮れの多摩川岸を歩きながらナンパのことを考えていた。日の沈みきる直前、薄闇に武蔵小杉のビルの灯りと丸子橋のライトアップがきらめき、川面に美しく映えていて、こんな景色の中でなら見知らぬ男とも話す気になりそうだと思った。薄暗いと顔もきれいに見えそうだし。与謝野晶子に「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」という歌があるが、そんな仕組みが夕暮れの丸子橋でもはたらくと思う。よい香りでもつけていたらなおさら。

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