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知らない未来を歩くという選択

全てを知ることができるというのは不幸である。ああしなければ良かったのに、と一生くよくよ悩まねばならない。わが身に起こる偶然など知らぬ方がいい。ひどい偶然もいい偶然も、起こってしまった以上、引き受けるしかない。

『お布団はタイムマシーン』


これは木皿泉さんの『お布団はタイムマシーン』の一節。


私たちはときどき、
「あぁ、これが事前に問題がわかっていたら…」
「前もって事態を想像できていたら、こんなことにはならなかったのに」
そんな風に振り返りながら、なんとかできたかもしれない過去を悔やむ。

さらに、
「こんなことがありそうだからやめておこう。」
「怖い思いをするくらいなら、今のままがいい」
と、行動する前にブレーキをかけ、自分に都合の良い理由をつけて安泰への道を選んでしまうことも多い。

それって自然なこと。
苦しいことや辛いことを避けて生きたいのは、人として当然。


けれど最近思う。
見えすぎちゃう未来って、どこかつまらないのかも。

ドキドキしながら進んだ先の成功の快感は、登頂したときみたいな爽快な景色があると思う。
(登山は全くの未経験者である私が言うのもアレだけど)


* * *


今年から、私は仕事の受け方を少し変えてみた。

それまでは、依頼があれば基本的に受けていたけれど、いつしか「せっかくフリーランスになったのに」と思うことが増えていた。

フリーになった理由である「家庭と仕事と自分のバランスをコントロールしたい」と思ったことが、ここ10年、無我夢中で働いているうちに見えなくなっていた。

そこで、もう一度立ち止まってみた。
より私らしくあるための働き方があるはずだと。
私の得意なこと、やってみたいこと。
それを中心に据えたスタイルを、少しずつ模索し始めた。

紆余曲折あっても、「結果的に自分の学びが得られる仕事」をすることを選んだ。
自分を消費させるだけの時間を手放していった。

(そんなカンタンじゃないことも、青臭いことを言っているのも重々承知)


まず一歩、踏み出していったこの年。
鈍くて重い、怖い怖い一歩。
(子どももまだまだこれから学費がかかる、社会は不安定。失敗できない。)
それは確かに私にとって勇気の一歩でもあった。


予測できない未来を生きる。
すべての偶然を受け入れて。

あらすじのない未来物語を前に、耳の奥でノーテンキな私の声がナレーションしている。

「まあ、とりあえず、いってみようか」


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