金時計の鎖と鼈甲の櫛のCMを思い出す
2度目の復職後に書いています。
体調不良に陥り、通院、休職、休養、リワーク通所、復職/社会復帰まで。
復職後の生活での気づきを書いてます。たまに休職中のことを思い返したり、リワークでの学びも書きます。
記憶に残っているCM
子供の頃に見たテレビ CM で記憶に残っているものはありますか?
何年、何十年と経つのに、不思議と記憶に残っている。
私にも あります。それは、こんなストーリー。
良い話です。
当時の私には、何の意味かも分かりませんでしたが、何故か印象深く記憶に残っています。
賢者になんて、なれません
この記事を書くために調べた所「賢者の贈り物」という小説のようですね。
それなら、私は賢者になんて なれません。
現実世界は そうはいかないのです。
どんなに相手を想った行動だったとしても、その想いが伝わっていないと、時として軋轢を生むことすらある。
例えば、
パートナーがやる予定だった家事を在宅ワークの私が日中やる。帰ってきてから楽をさせてあげたいから。もちろん逆のパターンもある。普段は「ありがとう」の言葉で平和が保たれる。
それが時として、何故かストレスになることがある。私は「いつも自分ばかり」となってしまう。相手にしてみれば「そもそも頼んでいない」となる。
心と身体の状態に左右される
些細な例ではありましたが、我が家で あるあるネタなのです。
少し重たい話では、私の休職中におけるパートナーが私に対してしていた配慮、我慢なんかも これに当たります。
自分に余裕がある時、元気な時には通常運転で思いやれる。それが、忙しかったり体調が悪かったり、何かの拍子に我慢メーターの上限値が急に下がる。そして、
「今のあなたに、こんなことを言うのは酷かもしれないけれど。」
となって、奥底にあった感情や考えを休職中の私に放出する。それを全て受け止める覚悟はあるので大丈夫ではあります。
そんな時に思い出すのが金時計の鎖と鼈甲の櫛の話
我が家において "ケンカ" は滅多にありません。ゼロとは言いませんが。
あるのは議論。
大激論に発展することも稀にありますが、大半は月一定例会のようなもの。
根底にあるのは、相手への想いやり。
ただ、日頃のコミュニケーションが足らなかった。
結果、ちょい強めのコミュニケーションが起きる時もある。
その度に、思い出します。金時計の鎖と鼈甲の櫛のCMを。
ひとこと言っておけば。ちょっとメッセージを送っておけば。
ほんの少しでも手を握っておけば。
そうならないようにしたい。
言語、非言語どちらが良いかは時と場合によりますが、長年一緒にいて互いを理解しているつもりでも分からないことはあるのです。
そのコミュニケーションがあれば、髪を切らず、時計を売らず、その上、お互いがハッピーになれる可能性を探すことができる、と思ったりします。
職場なら尚更なんだろうな
ましてや、職場の人間関係なんて、相手がどう感じて、どう考え行動しているのか、分かるはずがない。
感謝の気持ちはその時に。
反対意見、本当はこうしたい、は早めに言おうと思っている。
半年や一年の毎の評価面談の時だけでは足りないし、遅過ぎる。
阿吽の呼吸、憧れますが、それ以上に日頃のコミュニケーションを大切にしたいな、と思うのでした。
どうしても苦手な人、理不尽な人とは距離を取りながら。←これ重要
*私は「賢者の贈り物」原作を読んだことがありません。原作に対する誤解や理解不足があったら ごめんなさい。ご容赦下さい🙇