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石垣島

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1999年後半からおよそ3年ほど暮らした石垣島。島の人から聞いた話や、自身が体験したことなどを綴っています。
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記事一覧

初めての味

20年数年前、石垣島。 18のころに一人暮らしを始め、自炊をすることになった。16のころ…

慈月/itsuki
3年前
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一斉に咲く

およそ20年前。石垣島で暮らしているころ。働いているガソリンスタンドのすぐそばにある民家の…

慈月/itsuki
3年前
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石垣島で食べたジャージャー麵

「ぬって焼いたらカレーパン」がなくなってしまったのでカルディへと向かった。今は入り口で配…

慈月/itsuki
3年前
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まじゃあされる

恐らくは"惑わされる"が訛ってそういう言葉になったのだろう。 "まじゃあされるど"と、石垣島…

慈月/itsuki
3年前
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そば定食。おまけ付き

1999年後半に石垣島に渡った。年は18だった。 ガソリンスタンドで働きはじめ、アパートも見…

慈月/itsuki
3年前
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飛行機が不時着したかのような衝撃

およそ20年前。初めて石垣島に渡った。いや、当時18で今40なので正確には22年前という…

慈月/itsuki
3年前
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五季の島

夏の終わりは11月石垣島に住んでいたころ、だいたい西暦2000年ぐらいに、冷やし中華にハマっていた時期があった。 仕事場であるガソリンスタンドから、自分のアパートへの帰り道。その途中にある中華料理屋で、冷やし中華をよく食べていた。酸味のあるタレがかかった麺にハムやキュウリの細切り。そして錦糸卵。マヨネーズは容器ごとドンと置かれていた。 家路の途中にある中華料理屋。年季の入った建物は、少し遠目からみると、営業しているのかどうか疑わしいほどの佇まいだった。 その時期は週に3

逃げてきた者たち

今でも時折思い出すことがある。およそ20年前、石垣島にいたころ。早朝、職場のガソリンスタ…

慈月/itsuki
3年前
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北の者は南を目指し、南の者は北を目指す

北の者は南を目指し、南の者は北を目指す。  なぜか人は、ここではないどこか。遠くの国や地…

慈月/itsuki
3年前
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白くて丸い石

およそ20年前。石垣島で暮らしていたころは、自転車によく乗っていた。バイクはあったが休日…

慈月/itsuki
3年前
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魂を落とす

18から21のころまで、石垣島で暮らしていた。それはそれは濃密な3年間だったと思う。 島…

慈月/itsuki
3年前
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自然の美しさには及ばない

玄関の下駄箱の上に長いこと置きっぱなしにしていた珊瑚の欠片と貝殻が目についた。これはおよ…

慈月/itsuki
3年前
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