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飛行機が不時着したかのような衝撃

およそ20年前。初めて石垣島に渡った。いや、当時18で今40なので正確には22年前ということになる。

当時の石垣空港はまだ小さく。滑走路も短かったため、飛行機に燃料を満タンにしては飛び立つことができなかった。なので例えば、石垣から関西空港まで飛ぶときは、燃料を半分ほど給油して飛び立つ。そして宮古島で一度着陸して、そこで満タン給油してからまた飛び立つ。というような手順を踏まなければいけなかった。

石垣では3年ほど暮らしていた。その3年の期間のうち、5回ほど地元の三重に帰るために石垣空港発・関西空港行きの飛行機に乗った。

初めて石垣空港から飛行機に乗ったとき。出発がやや遅れ。やっと飛び立ったかと思えば、宮古島で降りてしまったので。なぜ、ここで降りたのかと空港職員に聞くと、給油のためだと言う。石垣空港は滑走路が短いので、燃料満タンでは離陸できないのだとそのとき初めて知った。


石垣で3年ほど暮らしたのちにアパートを引き払い。地元に戻った。その後石垣空港は新しくなり、滑走路も長く立派なものになったらしいが、自分は実物をこの目で見ていない。

18のとき、母の知り合いのつてを頼って石垣にわたったとき。乗り込んだ飛行機がとにかく衝撃的だった。比喩ではなく本当に衝撃が凄かった。

当時は確か、関空から石垣までは1つの航空会社だけしか飛行機が飛んでおらず。機体も最新のものとは言い難い、小さくてところどころ傷んでいるような印象のものだった。座席も通路も狭く、乗り降りがし辛かったが。飛行機に乗るのが初めてだったので多少の不便さは気ならず。とにかく興奮していた。

飛行機がエンジン音を轟かせながら加速しはじめ。機体が激しく振動しながら離陸し、そのあとは順調に飛行を続けた。しばらくすると機内アナウンスで、間もなく石垣空港に到着だと告げられた。窓から下を覗くと、見たこともないような鮮やかな色の海とサンゴ礁が見えた。

初めてみる南国の美しい海の色に感動し。自分はこれからこの島で暮らすのだと思うと、不安と期待がないまぜになった感情が湧いてきた。

そのあとが凄かった。いざ着陸となったとき、ドガァンと大きな音がして、機体全体が強い衝撃を受けて激しく揺れた。他の座席から悲鳴が聞こえる。シートの手すりを掴んで衝撃に耐えた。これはもしかして不時着したのか?と思った。

しかし、不時着などではなく。乗務員はいつも通りだと言わんばかりの顔をしており、アナウンスからは到着を告げられた。

その後も何度か石垣から関空を往復する飛行機に乗ったが、着陸時の衝撃にはすっかり慣れてしまった。

恐らく今はもうそんな衝撃は味わえないのだろうと思うと、なんとなく少し寂しい気もする。

(写真:2016年沖縄那覇空港)

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