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白くて丸い石

およそ20年前。石垣島で暮らしていたころは、自転車によく乗っていた。バイクはあったが休日に乗ることが多く、使用頻度が高いのは自転車だった。

あるとき、仕事場のあるガソリンスタンドから、少し離れた道を自転車で流していると道路工事をやっていた。地面を掘り返して水道管の補修かなにかの作業をしている。掘り返された地面の横には工事中と書かれた看板が置かれていた。

数日後、その道路を自転車で通ると、まだ道路は掘り返されたままだった。しかしその穴の横に置かれていた看板の文字が変わっており、「発掘作業中」となっている。

自転車を止め、道路に空いた穴をのぞき込んでみた。結構な深さがある。すると、赤っぽい土の中に半分埋まるような状態で、丸い形をした白い石が見えた。球体の下半分が土に埋まるようにして、上半分が露出していた。少し遠いので分かりにくいが、大きさは小ぶりなスイカぐらいだろうか。

もう少し見ていたい気がしたが、なんとなくその日はそのまま家路についた。

数日経ってその道路を通ると、まだ穴は塞がっておらず、発掘作業中の看板もあった。
またのぞき込んでみると、前回見た白い丸石はまだある。ただ前回と違うのは、その丸い石の周りに、細い棒のようなものがいくつか刺してあることだった。石を取り囲むように数本の細い棒。

発掘作業というからには何かの遺跡なのだろうか。それとも古代の陶器だろうかと思いながらその白い石をじっと見つめていると、ふいに正体に気づいた。

それは人骨だった。人間の頭蓋骨。

ここは沖縄の石垣島。今もまだ人骨があちこちにある。米原のビーチに行っとき、地元の人に林の方には行くなと言われたことがある。未だに人骨がみつかることがあるからだと。

道路に空いた、穴の底に見える頭蓋骨の白。その色を見つめながら、不謹慎ながらも美しいと感じていた。しばし見入っていると仕事先の店長の言葉が脳裏をよぎった。

怪しいものには近づくな。下手すると「まじゃーされる」ど。

まじゃーされる。もしくは、まじゃあされる。(そう聞こえた)とはいわゆる「惑わされる」という意味だ。この言葉は島について最初のころに教わった。
例えば心霊スポットなどに近づく若者に、警告としてそのように言って聞かせる。

あそこは危ない。「まじゃあ」されるど。「まじゃあ」されると戻ってこれんど。

その言葉を思い出し、穴の底の頭蓋骨から目を離して、その場を離れた。

その後しばらくして作業が終わったらしく、穴は埋められ、道路は舗装されていた。南国の明るい日差しの影には、先人たちの痛みがある。

沖縄だけではない。どこの土地も、なんらかの犠牲の上でなりたっているのだろう。

だからこそ今を生きる我々は、日々感謝して生きなければならない。お互いを慈しんで生きなければならない。争っている場合ではない。

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