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【システマ】「姿勢を伸ばすな!」といわれた人生。でもシステマは姿勢を正してくれてサンクス

概要

昔いた業界で「姿勢がよすぎる」「お前が立っていると偉そうに見える」といわれて体を小さくしていた。

体を小さくして、背中を丸めているとどんどん呼吸が苦しくなる。ぼくはその中でたくさんの病気になったし、人から八つ当たりされるようにもなった。

システマに出会って「姿勢をよくすること」をちゃんと教えてもらった。呼吸が楽になって、自信に気が付くきっかけをもらった。ありがとうミカエル。

偉そうに見えすぎる

前にいた業界で、初めて現場に出て右も左もわからなかったとき、メンター的な人についていろいろ現場を見て回るインターンシップを行いました。

その現場は子供もいたのですがぼくをみてそのメンターが「姿勢がよすぎる!子供が怖がるでしょう、もっと姿勢を低くしなさい」といわれました。

ぼくは普通の人よりやや大柄な体格をしているので背筋を伸ばして立っていると「威圧感」を与えるらしいのです、子供が怖がるからもっと小さくまとまれということだそうです。

生まれつき体格のいいほうなので、別に胸を全く張ってないつもりでも胸の張り出しがでかいのが悩みといえば悩みでした。

今巨乳の女性が映っただけの広告やポスターが非難を浴びていると聞きますが、何となく気持ちがわかります。

「別に普通にしてるだけなのに……」

ですがその場に立っているだけで外部から来た上役に間違えられて上座に座らされたこともあったりしたので、そういうものかとおもってそれ以来偉そうに見えないように、人前では背中を丸めて生きてきました。

姿勢が悪いと全部悪くなる

背中を丸めると当然呼吸が苦しくなります。120㎝の胸囲を常に往年のお笑い女子ユニット「パイレーツ」みたいに寄せてうつむいて過ごしていると、それだけで汗をかきますし、頭がぼーっとしてきます。

でもぼくはそれが他人に威圧感を与えない正しい姿勢のあり方だと(教わったので)ずっとそうしていました。

結果食事の時は3分に一度立ち上がらないと胃が圧迫されて苦しくなり、椅子に座るときも背中の健やら筋肉やらが固く癒着していて、もう背もたれにもたれかからないと何をするにも苦しくてならなくなりました。

自身のなさそうな格好をしていると周りからも舐められます。同期は平気で上司の前で僕をこき下ろすようになり、身長150㎝の先輩にいくら大きな声で廊下で米つきバッタのようにあいさつしようとも「返事」すらしてもらえなくなりました。一度など2時間仕事中先輩に尻を蹴られ続けたこともありました。

ほどなくしてあらゆる病気にかかり、立っているのもつらくなりました。信じられないことですが、普通に立っていることがもう耐えられなくて、腰が「?」のように曲がってしまうのです。背中の後ろにある腎臓を圧迫したためか腎結石などにもかかってしまい、その時だけ猛烈な痛みに背中を伸ばさざるを得なかったのを覚えています。背中を伸ばすと痛みが軽減したからです。

ついには背中を丸めて歩いているとすれ違いざまに何もしていないのに知らない女性に「Fuck You」といわれたことすらありました。

「人生はなぜこのように残酷で苦しみに満ちているのだろう。」

仏道修行者でもないのに一切皆苦、一切皆空に目覚めてしまいそうになるほどの苦しみを感じ、一人背中を丸めて部屋に帰ると何もせずにベッドで寝る日々を過ごしました。

システマは姿勢をよくさせてくれた

しかしここ数年システマするようになりその中の原則の一つ「姿勢をまっすぐに伸ばす」を日常生活の中でも行うことが増えました。

システマは「呼吸」「リラックス」「姿勢」「動き続ける」がお互いに行きかうようにして補完するシステムなので、姿勢を伸ばすためには、呼吸ができるようにリラックスして動き続けられる状態を保つことになります。ですから「姿勢」だけがどうこうということではありませんが、とにかく呼吸のためにもリラックスのためにも姿勢をまっすぐにする意識で暮らし始めました。

するととっても気持ちがいいのです。

まず呼吸が楽にたっぷりできます。呼吸が背中まで通るのがわかるためにも背筋が伸びていることが大切です。

呼吸が楽になるわけだからずっと座り仕事を続けていても頭もぼーっとしなくなりました。いまは疲れたり体が硬くなったらプッシュアップを呼吸と共にするという方法を知っているのでさらに持久力がありますが、とにかく長時間同じ作業を続けることができるようになりました。

さらにここ数年自分の身長が縮んだような気がしていましたが、それは姿勢が悪かったからでした。ほんの少しの違いですが、姿勢を伸ばすと少しだけ高い山に登ったように周りも自分の事も軽く俯瞰するような気持になります。

姿勢を伸ばすと自信に気づく

でも胸を這って威張るわけではありません、すとんと胸と肩の力を抜いてマトリョーシカをとんと机に置くように、自然に座ったり立ったりしているだけです。これが勘違いでなければいいのですが、姿勢を伸ばすと何をしたわけでもなく根拠のない自信を感じるようになりました。

高慢ではない自信とは「俺は絶対できる!〇〇だから!できなければいけない!」とかではなく「できなくても問題ないさ」もっといえば「なんだって、どうだっていいさ」という気持ちになれることかなと思います。別の状況に変われば、それに応じればいい、応じれなくてもいい、その場その場でできることをすればいいという気持ちです。

昔は高い実績や経験だけが自信の源だと思っていました。確かにそれはそうですし軽視していいものでは決してありませんが、高慢と自己憐憫は実は同じことであると気が付いたのも「自然さ」に注意を払うようにし始めてからです。

何かしたことがなければ自分に自信をもってはいけないならば、人生ではじめの自信はいつ持てばいいのでしょう?偉い人の横で団子虫のように何かに耐えて上目遣いでいきながら、さいころを転がすような幸運に頼ってで何かを成し遂げたときに初めて威張って自信を持てばいいのでしょうか?

それは盗人がたまたま拾った財布で金持ちになった気になるのと似ている気がします。それは自信ではなく、高慢につながる自己の認識の仕方です。

自然に背筋を伸ばしていると、自分にできることは当たり前にできるし、できないことはできないだろうなと客観的にみることができます。自然というのはどこも硬かったり無理をしていない姿勢の事です。結果ありきでこうしようと思ってとっていない姿勢です。狙わないということです。

さざ波が収まって自明になることが水面下からあらわになるような感覚だと思います。そうやってあらわになったものは自信をもって扱うことができます。

自然に姿勢を伸ばして呼吸すると、自分の自信に「気づく」ような感覚になります。

システマのグランドマスターミカエルは体を鍛えると自信が出る。といいます。そして自信を持ってくださいと言います。そういうときの彼はいつも自然にいい姿勢で、あの常人とは思えないほど立派な腕を前にやさしく出して、聞く人に力強さを送ってくれているように見えます。

過酷な戦争体験と武勲を持つ彼でなくても、人生において他人が驚くようなことを何一つ成し遂げていない大量生産された人生を送るぼくのような人間でも自分なりの「自信」を持っていいんだという力強いメッセージはとってもありがたく響きました。

今は自分が他人に圧迫感を与えるかもと悩む事はありません、多分あの時の上司も僕のことを2時間蹴るのは困難でしょう、あの時の同僚もぼくを誰かの前で延々とこき下ろしたり罵倒するのも難しいでしょう。

今はぼくに「姿勢がよすぎる、偉そうにするな」「子供が怖がるからもっと小さくなれ」といった先輩がなぜそういったのかがわかります。それは恐怖心、緊張です。

そもそも子供が怖がるって言っても子供がそういったわけでも泣いてるわけでもないのに、そう「考えて」いわば「恐れて」その先輩はぼくの姿勢に文句とつけたのですから。そしてぼくも恐怖心があったから、その言葉の奴隷になったのでした。

奴隷は鞭うたれるのが当然です(笑)みなのひどい仕打ちも皆が悪いわけでもない、ぼく自身がそうする環境を皆に提供していただけの事でした。

苦しみはぼくじしんが選択したからやってきたのです。苦しむ姿勢、つまり悪い姿勢を選択すると自然と苦しむようにできてるのです。

そういった周辺のいろんなことに「姿勢」を通じてここ数年気が付かせてくれたシステマに感謝もあるし、本当にやっててよかったなと思うようになりました。

いつかまた各国の行き来が解禁されたらミカエルにあって、直接ありがとうと言いたいです。

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ペットボトルを使って背骨を直す方法を教えてくれるミカエル↑

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