2008スコア

戦略③~絶体絶命の状況を脱した話~

コロナウイルス関連の報道を見ていると、国中が病んでるなあと感じます。いや世界中が病んでいますね。また、報道に対していちいち批評したり、揶揄したりとみなさんも多忙な毎日をお過ごしのことでしょう。政策に文句があるなら政治家になるなり、コメンテーターになるなりしてお給料をもらってはいかがでしょうか。
いやいや、冗談です。危なくそっち側の人間になるとこだった…。皆様の気持ちも分かります。僕も病んでるんです…。

さて今日は、僕の人生において一番の窮地を脱した話です。たぶん今後においてもこんなに緊張する瞬間はないでしょう。

2008年。夏の県大会、一回戦。

さかのぼること12年前ですね。僕は高校2年生の野球部員です。
甲子園をかけて岩手県大会が幕を開けました。初戦の相手は、盛岡三高。「岩手県内進学高対決」などと新聞では報道されていたと思います。
中学生の頃は三高に進学しようか悩んでいた時期がありました。でも、一高に進学したのには、2つ理由があります。

①盛岡三高のユニフォームがダサいから
②地元でそこそこ名の知れた選手達が一高に進学するという噂を聞いたから

①に関しては僕の美的センスですね。三高関係者には深くお詫び申し上げます。白地にみどり、なんか着たくない。対して一高は、早稲田カラーのユニフォーム。中学3年の時、斎藤佑樹投手が甲子園優勝した影響も大きいです。着たいな。と思いました。
②は確信がなかったのですが、入部してから確信しました。上手い下手を抜きにして、みんな向上心の塊だし、努力の才能を持っていました。いずれにしても、適当な判断で志した盛岡一高野球部に入り、僕の人生は劇的に変わります。

8回表の悲劇

さあ、ここから本題に入りましょう。この大会の初戦。投手戦になることは想定していました。対戦相手のピッチャーは学年が1つ上で、中学時代には岩手県中総体を制した優勝投手でもあります。7回終了時点で1-1。ここまでは、順調。いつも練習していた通りの展開。絶対に流れを引き込んで、勝利につなげよう。
しかし、8回表の守備で想定外のハプニングが発生します。
一塁塁審が誤審しやがったのです。ファーストがゴロを捌き、カバーに入ったピッチャーに送球。普通にアウトでした。観客も、対戦校の選手も誤審だと思ったはずです。自分たちのミスで点を失うことは想定の範囲内だけど、審判のミスで点を失うなんて。しかも公式戦の大事な場面で…。平常心じゃいられません。僕は外野手(レフト)で試合に出ていましたが、外野手3人とも「オイッ!!!」「あ゛!?!?」っていうリアクションをとったのを覚えています。審判に交渉。試合は一時中断されました。

画像2

結局判定は覆らず、1点を献上。
そのプレーに絡んだファーストは同じ2年生。その回の守備を終え、ベンチに戻ったあと涙ぐんでいました。
ぼたっ。じゅわぁ…。
夏の日差しが強いベンチの中、彼の涙がこぼれてジワっと蒸発する光景をいまだにみんな覚えています。そして、みんな若干ヒキました。

いやいや、まだ試合終わってないし!お前のプレーに悪い所はなかった!
しかも、もし誤審が原因でこの試合敗けることになったとしてもさ。
泣きたいのは3年生の先輩達だろ!違う、まず、諦めるな!

あれを見せられて、みんな冷静さを取り戻しつつありました。でも、残り6つのアウトの中で1点を取るのはそう簡単なことではありません。

9回裏、最後の攻撃

混乱の中に冷静さと不安が入り交じっています。要するにパニック状態。絵の具のパレットに例えるなら複数の色が混ざりすぎて限りなく黒に近い状態です。8回裏は何もすることができなかった。
残り3アウト。9回裏の先頭バッター、3年生の先輩が四球を選びます。その後、送りバントで1アウト2塁。次の打者はアウトになり、2アウト2塁。あとがない。打席には先ほど紹介した涙のご主人さま。ここで彼は執念のヒットで繋ぎます。一塁ベース上で吠えてました。

さっき泣いてたと思ったら、吠えてガッツポーズか。忙しいやつだな。
でも、感動した。次は俺が繋ぐ番。

2アウト1塁3塁、バッター、俺。脳内ではヒットを打って同点にするイメージと、凡退して試合終了になるイメージが喧嘩し合います。

もし、俺がここでアウトになれば…。
もう3年生と一緒に野球ができなくなる。

先輩達との思い出はめちゃくちゃ多い。それだけじゃない。内容が濃い。僕らが前年秋の公式戦から少し勝ち進むたびに、毎回「盛岡一高○年ぶり県大会出場」「盛岡一高○年ぶりベスト○○」といった言葉で報じられた。夏の大会1回戦で負ける心の準備なんてできていなかった。
この崖っぷち、さらに逆風が僕を襲います。バッターボックスで足が震えました。これまた想定外。野球をずっとやっていて、その1回だけです。こんなこと。僕は、対戦投手がほんとに苦手でした。中学2年生の時も対戦したことがあって3打数ノーヒット。手も足も出ませんでした。この日も、この打席まで3打数ノーヒットでした。絶望的だ。この人の緩い変化球が嫌い。生理的に受け付けない。ドカベンの殿間一人だったら「リズムが合わないズラ」って言えば済む話なんだけど、そういうわけにもいきません。

緩い変化球を当てにいってボテボテのピッチャーゴロとかで終わるくらいなら、全力で振って三振の方がマシ。
「フルスイングした結果、ダメでした…。すみません。僕が最後のバッターになってしまいました…。」
たぶん、先輩達なら許してくれるだろう。涙の謝罪だ。
その方が自分としても納得いく。覚悟を決めて振り切ろう。

作戦名は…

「割り切って、振り切ってこう」それだけです。
ゆる~い変化球に対し、僕は振り切りました。写真からも伝わりますよね。

画像1

結果は、会心の一撃とはとても言えないドン詰まりでしたが三遊間を抜くレフト前ヒットになりました。同点です。
土壇場で2-2の同点。僕は、前打者・涙のご主人様と同じように吠えたり、ガッツポーズしたりできませんでした。1塁ベース上で両膝に手をつきました。それまでフワフワした感覚でしたが、同点になったのを確認した途端に重力をズーンと感じました。体が重い。同時にぐちゃぐちゃだった絵の具のパレットは少しだけ明るさを取り戻します。

死ぬかと思った。でも、ほんとラッキー!
もう少し、先輩達と野球してていいんだ。

今この写真を見て思うのは、本当に変化球を意識しまくっていたんだなあってこと。ストレートに脅威を感じていなかった分、バッターボックスの投手側に立って全球種に対応するつもりでした。変化球は曲がりっぱなを叩く。ストレートは多少振り遅れても対応できる。それだけの練習は積んでいました。打った瞬間の右足は、つま先がバッターボックスからはみ出ています。
あと、三高ベンチメンバー。もう勝ったと思っていたんでしょうか。僕ら一高ベンチは全員が前のめりになって声を出していたはずです。絶対に諦めたりしない。その熱意の差が生んだヒットだったのかもしれませんね。
1塁ベンチ、スタンドも沸いていたんでしょうね。集中しすぎて何も聞こえない状態でした。せめて一塁ベンチに向かってガッツポーズとかしとけばよかったなあ。その後は、一気に流れを引き込んでその回にトドメを刺しました。同期の公式戦初ヒットでサヨナラ勝ち。
めちゃくちゃ見づらいですが、サヨナラ勝ちの瞬間。ちゃんとガッツポーズしてました。両手でガッツポーズなんて、後にも先にもこの時だけです。

画像3


この年の夏。コールド勝ち2回、サヨナラ勝ち2回。大会を通して、グラウンド上でこんなにワクワクした期間は他にないです。最後は盛大附属にコールド負けしてしまいましたが、岩手県ベスト4になれたことを誇りに思っています。

おわりに

僕が人生一番緊張した話でした。想定外な展開から窮地に追い込まれました。でも、運も声援も味方して結果がついてきました。結果を出すための努力も積んでいました。この経験はその後の人生においても財産になっています。あの時に比べたら大したことないわ。いつもそう思っています。あの年代の盛岡一高で野球ができてよかった。あの窮地に立たされたバッターが自分でよかった。

ここまで読んで下さった方にお伝えしたいのは、「ときには、思い切った作戦」が功を奏して道を拓くことがあるということです。あとは「ときには、努力は裏切らないことがある」っていうことですかね。
以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。

ps:同点の瞬間、ホームベースを踏んだ先輩に後々言われました。あの同点打は、ダイナミックコーポレーション社のおかげだと。ダイナミックコーポレーションの筋トレメソッドのおかげです。あざしたっ!!
※現存していない会社です。ググっても無駄です。



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中村友隆
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