境界線の上で向かい合うこと
いくつかの恥ずかしいはなしを含めて書く。
対話には「対」という文字が入っている。
対立の「対」でもあるし、反対の「対」でもある。
「つい」と訓読みすると「ペア」の意味にもなるのか。
「対立」と「ペア」を同じ一字に押し込むなんて、随分剣呑なことだけれど、たしかに哲学対話というのも、そういう危うさもはらんでいるように思う。
ある読書で会の中で、参加者がおもむろに、でも鋭い声で「ぼくはミソジニーなので」といった。ミソジニー、といったその声を鋭いと思い出すのは、その時ぼくが感