のぶゆき

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境界線の上で向かい合うこと

いくつかの恥ずかしいはなしを含めて書く。 対話には「対」という文字が入っている。 対立の「対」でもあるし、反対の「対」でもある。 「つい」と訓読みすると「ペア」の意味にもなるのか。 「対立」と「ペア」を同じ一字に押し込むなんて、随分剣呑なことだけれど、たしかに哲学対話というのも、そういう危うさもはらんでいるように思う。  ある読書で会の中で、参加者がおもむろに、でも鋭い声で「ぼくはミソジニーなので」といった。ミソジニー、といったその声を鋭いと思い出すのは、その時ぼくが感

    • ラッキーディップを用いて詩を作ったよ(その一)  @全国大学国語教育学会2020年秋季大会

      ラッキーディップって何? (注1)既存の詩を一行ごとにバラバラにして、それを並べ替えて、別の詩をつくる手法です(注2)。 今回の活動の流れは以下のようでした。①乱数表アプリを使って番号を引く(今回は12行の詩を作るので12回) ②その番号の行を詩から抜き出す。 ③並べ替えて詩をつくる。(今回は、一行だけは自作の行を付け加えてもOK) ④タイトルを付ける。 用いた詩は  ⑴牟礼慶子「見えないだけ」  ⑵はたちよしこ「愛すること」  ⑶岸田衿子「木の影」 の三作品。 こ

      • 『中動態の世界』(國分功一郎)を楽しむための日本語文法 (その一)

        『中動態の世界』(國分功一郎)を楽しむための日本語文法 中動態というものが、古代ギリシア語にはあるらしい。  聞いたこともないし、そもそも「態」がわからない。  知っている「態」といえば、中学英語で習った能動態と受動態。でも、受動態がわからないなぁ。と思っていると、日本語で言うところの受け身表現だと言われる。 とすると、能動態とペアになるのが受け身表現となって、「態」がいつの間にか消えてしまう。 やっぱり「態」が分からない。 「態」ってなに?  「態」が分からない。分からな

        • 「勉強をさせる」ことに、後ろめたさを覚える人へ 東京大学こまば哲学カフェ 第一回「勉強とからだと心の繋がり」哲学対話

          「勉強をさせる」ことに、後ろめたさをどこか覚える多くの人へ贈ります。  ~哲学対話の思考の記録 ~ これは哲学対話の純粋な記録ではありません。哲学対話を経て考えたぼくの思考の記録です。  当日の流れを正確に記述したものではないことを、ご了承ください。  ~「勉強をさせる」ことは後ろめたい?~ 哲学対話「勉強とからだと心の繋がりを考える」の始まりの問いに選ばれたのは、「勉強をさせるのはなぜ大変なのか」というものだった。  さて、「勉強をさせる」という言葉に、どんな

        境界線の上で向かい合うこと

        • ラッキーディップを用いて詩を作ったよ(その一)  @全国大学国語教育学会2020年秋季大会

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          地下足袋の生活から、生きる喜びを考える

          澄んだ空の青も、花の色も、この季節きれいですね。  はじめまして、こんにちは。石川といいます。  ぼくが書くことは、きっと、さっぱりわからない人もいるだろうし、その逆に、なんて当たり前のことしか書いていないのだろうと、そう思う人もいるかもしれません。  お互いに顔が見えないままの手紙ですから、少し長いひとり言だと思ってください。    ~ 地下足袋(じかたび)をはいて暮らす。 ~  ぼくは年間350日くらい地下足袋をはいて生活しています。地下足袋というのは、とび職の

          地下足袋の生活から、生きる喜びを考える