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【コラム】真っ黒なお鍋が人生を教えてくれる?!

一人暮らしの時には、不規則な生活をしていましたが、子どもが生まれてからは生活の基本を大事にしたいと考えるようになりました。食べ物も、生活リズムも、使う道具も。とは言え、やっぱり身についていないことも多く、掃除は今だに苦手分野です。

ある時、ふと気が向いて、油がこびりついて真っ黒になっていたお鍋を磨き始めました。中身は毎回キレイに洗うけど、恥ずかしながら、外の汚れはサッと洗うだけ。買って10年経つ間に、少しずつ汚れが蓄積して、真っ黒になっていました(写真左下の三日月型の茶色い部分が全面だったのです…)。

10年間の汚れはこびりついていて、容易には取れません。石鹸を溶かしたお湯に漬けてしばらくふやかした後、ザラザラのコゲ取りシートで思い切り力を入れてガリガリ磨くのに、なかなか汚れが落ちません。

それでも、一か所をゴシゴシ擦っていると、少しずつ油汚れが薄くなり、地金の輝きが現れてきました。表面積の7割くらいキレイになったところで、指先に異変を感じて終了。気が付けば、人差し指と中指の先が、水ぶくれになりかかっていました。私ったら一度にやるから、もう…(^^;)。

途中で辞めたから、Before-Afterのコントラストがすごい! これ、今度磨いたら、全体がピカピカになるはず。なかなかの達成感です。でも、ごはんを炊いたら、磨いたばかりのフタが、また汚れました。写真の白い汚れは、ごはんの吹きこぼれ。ピカピカだったの、30分くらいだったわ。う~む。

でも、すぐ汚れたにしても、いったんピカピカにした事自体が、とても気持ちいい。何度でもキレイにしてあげたい。何だろ、この気持ち良さ。「ものとていねいに付き合っている感じ」がいいのかな? 

今までの私は「中身がキレイなら、外側なんかどうせすぐ汚れるんだから、テキトーでいいわ」って思ってた。家のまわりも「秋は落ち葉があるのが当たり前。自然に還るから落ち葉なんか掃き集めなくてもいいよ」と思うけど、やっぱり、神社やお寺とかの掃き清められた庭は気持ちがいい。

あ~~!! この「どうせすぐ汚れるんだから、汚くてもいいや」っていう感じは、「どうせいつか死ぬんだから、生きる意味なんてない」っていうのと似ている? そして、「どうせすぐ汚れるけど、毎回ピカピカにして使いたい」っていう感じは、「人はいつか死ぬけど、日々より良く生きたい」っていうのと通じるものがある。

毎回お鍋をピカピカに磨く=今あるものを生かして大切にする、ということは、「この命を大切に、より良く生かして使いたい」という真っ当さに通じるから気持ちいいのかもしれません。

それにしても、鍋が生きる姿勢を教えてくれるとは! 片手間でやると面倒なだけの事も、耳を澄ませば、いろんなものたちが、いろんなことを語ってくれていることに気付く時があります。気が向いた時、目の前の単純なことに没頭してみると、人間以外の饒舌なものたちの話が聞けて、おもしろいかもしれませんね。

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▼オキツ 神戸シュタイナーハウス代表 大人クラス担当
書く人、聴く人、考える人、作る人、遊ぶ人。小さな勉強会や仕事、普段の暮らしの中で、ちょっと立ち止まって考え、言葉にし、行動してみる。少しずつ、みんなで幸せになっていけたらいいな。
ブログ毎日更新中。「自由の哲学を読む」~日々の暮らしから~
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