【子ども】聖人伝①空海に導かれて
子どもたちは2・3年生。「それまでこの世のすべては善である」という、まるで夢のような世界に生きていた時代は終わりを迎えた。「どうやら善だけではないらしい」ということを知り、嘘も悪口も言えるようになってくる。でも、本当は崇高であるもの、善なるものに憧れている。
小学校で2年生担任をすると、
「先生、〇〇くんがこんな悪いことしてた!」
などのいわゆる告げ口が、他の学年に比べて本当に多い。これは、世界って善いものだったんじゃないの!?とか、私は悪い人になりたくない!とか、そういう意味だ。
そんな時期には聖人伝。
誰にしようか考えていたら、向こうから来た
(↑ 今改めて見ると、足がないのが気になる。この頃の私は、小学校を退職したばかり。地に足が着いていなかったんじゃないかな)
シュタイナー教育はドイツで始まった。だから、聖人伝と言えば、聖書に出てくる人が題材になることが多い。
でも・・・
お箸を使う日本人がシュタイナー教育というスープを飲むとき、スプーンに持ちかえるのか、スープをアレンジするのか。
どっちも正解だと思う。大事なのは、あの子たちにとってどちらが良いか。そして、私がどちらを選びたいか。
日本にゆかりのある人で、ぴったりの人はいないかな・・・そう考えながら寺社仏閣を巡っていたら、素敵な和本を発見。ちょっと砂をかぶったその本のタイトルは『弘法大師さま四国ふしぎな昔話』。なんでこんなところに?と思うようなところに置いてあって、出会うべくして出会ったとしか思えない。よーし、決まり。聖人伝は空海を取り上げることにした。
(↑ 四国だったか高野山だったか・・・どこで出会ったかよく覚えていないけど、出版社は京都だった)
調べ物は、人の手を借りた方がいい
よーし、調べるぞ!意気込んで図書館に行ってみたものの、空海に特化した本がわからず、一番目立っていたこの本を手に取った。四国→京都→高野山の順に著者が取材したときの話も入っていて、軽い感じで読みやすい本。
結果としては良かったけれど、今もう一度調べるなら、いつもお世話になっている図書館で相談して、いろんな本を取り寄せてもらうと思う。この8年、いろいろな調べ物をするにあたって、6か所の図書館を利用したけれど、ここの司書さんがダントツ。市内の図書館になかったとしても、府内のあらゆるネットワークを駆使して探してくれて、本当に頼りになるのだ。だから、本探しはお任せ。私のすることは、「この本はどうですか?」と尋ねられたときに即答できるように、歩みたい道筋を明確にしておくことだけ。
ああ、間に合わなかった・・・
子どもたちの反応はきれいに二分していた。
「それで!?どうなんの!?」
と文字通り目を輝かせ、自分のことのように身を乗り出して聞く2年生と、
「へぇ~、そういう人がいたんやなぁ」
と客観性が垣間見える3年生。やっぱり、聖人伝って2年生で学ぶのがベストタイミングなんだなぁと思っていたとき、事件は起きた。
終了後の片付けをしていると、部屋の隅で、3年生のAちゃんが他の3年生にコソコソと何か見せながら話している。いつもと違うなんだか不穏な空気。そのときの私は冴えていて、今声をかけたら隠されてしまうぞ・・・と思った。気づかないふりをしていると、2人は怪しい紙を落としていった。
(↑ これは表紙。次のページには悪口が箇条書きでずらり。そんなとこまで美しく仕上げなくていいのに・・・)
「ひみつノート みるな!ぜったい」
そのときの私の心境は、
うわぁ!やっぱり聖人伝が遅かったかもーーー!!!
がいちばんに来て、がっかりしていた。
もう1年早く聖人伝に取り組んでいたら、こんな陰湿なことにはならないんじゃないかな!?こんなことするまでAちゃんが追い込まれていたのに、全然気づかなかった私って!?
とにかく申し訳ないと思った。観察不足、計画不足を嘆いた。
けど、そんなこと言っていられないし、後悔しても意味はない。内にあるトゲトゲを抜いてあげないと。
崇高なものへの憧れは続いていた
とは言っても、子どもたちは帰ってしまった。次の月まで持ち越すと曖昧になりそうなので、Aちゃんの保護者の方にお伝えして委ねた。
ショックだけれど、事実は事実。9歳という転換期を迎えて(詳しくはこちら→コラム「年齢に沿った成長のために」)、孤独感や不安感から誰かを攻撃したり自分を守ろうとする行動が出てくるけれど、成長している証。叱るだけでは孤独感が増して逆効果になりそう。フォローが大事!!しかし、私は何もできない!!あとはよろしくお願いします!!!
公立小学校でこんなこと言ったらクレームものだろうけど、懐の広い方で助かった。家で、Aちゃんの方から話題をふってきたらしく、ひみつノートのことは話題に出さずに自然な流れで話せたとのこと。
ああ、よかった~。
次の月には3年生たちと話をした。嫌なことがあったのなら、こういう形ではなくて相談してね、と。だんだん子どもたちの目がうるうるしてくる。ああ、悪口を言いたい子なんて存在しない。崇高なものへの憧れは続いているんだ。
私もそう。ちょうど、シュタイナー教育への憧れが膨らんで小学校を退職した年だった。子どもたちには恥ずかしくて言えないけれど、学校の悪口を言ったことなんて数えきれないくらいある。でも、それでは何の解決にもならない。自分で自分を高めていくほかに道はないのだ。
3年生たちが学ぶために今回の件があったのか、はたまた私自身のためだったのか・・・。どっちでもいいけど、この件を通して、共に何かを得たことは確かだ。今振り返ってみると、空海さんが導いたのかな?なんて思えたりするけど、どうなんだろう。
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えりか先生。神戸シュタイナーハウスでは、子どもクラスを担当。
小学校教員を経て、現在は放課後等デイサービスの指導員として働くかたわら、神戸・京都において日曜クラスの先生としても活躍中。
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