「読書感想文」 が嫌いだった話。
物書きのスタンス。それは様々である。往年の名作家から覚えたての言葉を操る子供まで、十人十色のやり方で文章を書いていると思う。
昔、学校の課題として出される読書感想文や夏休みの日記が苦手だった。成績とか、書いた文の良し悪しとかではない。なんとなく嫌いだと思っていた。
多くの人々が、生まれて初めて程度まとまった文章を書くことになるのが、小学生の読書感想文ではないだろうか。僕は小学生の間ずっと、読書感想文は夏休みの最後の日に適当に書いていた。おかげで入賞とかには、全く縁がなかった。
そんな漠然とした「嫌い」の感情を、大学生になったいまの視点で見つめ直してみようと思う。だいいちに、なぜ読書感想文が苦手だった人間がnoteとかいう読書感想文がたくさん投稿されているメディアで活動しているのか。自分でも意味がわからなかった。
● 読書感想文がキライ?
なぜ嫌いなのだろうか。3つほど理由を考えてみた。
①決まった本を読んで、何もない更地によくわからない感情を引きずりだすことが怖かった
主体的に本を選択して、その本に浸ることができない。読書感想文を書くうえで、「感想を書かねばならない」本として本を読むのが嫌だった。僕は常に斜に構えていたからか、何か人にやらされるのが嫌いだった。
②単に本の感想を書くこと自体が苦手だった
一本の線を通してものを書くことは難しい。毎回蛇行する感情をうまく一つのものにまとめ上げるには、小学生の僕にはできなかった。(いまもこの記事を書きながら書きたいことが右往左往している、非常にやっかいだ)
③めんどかった。
そのまま。400字の原稿用紙にずっと鉛筆で書かされるのが嫌だった説。
これらをまとめると、単に本を読む行為と書く行為をつなげるのが苦手なのかもしれない。また、周りを見て行動するタイプの僕が自分の意見を主張するのには、だいぶ苦労した。
そんなことがあってか、小学生の頃だけでなく、中学高校を通じても文章を書くことは少なかった。
● 転機、到来
では、なぜ僕は文章を書くようになったのだろうか。
初めて文章を世の中に出そうと思ったのは、浪人の時だった。
受験に関するブログを始めたのだが、当初は普通に受験談義をするようなブログだった。もちろん書き始めはネタなんてそんなに頻繁には思いつかなかった。
そんな中で、ブログを書き始めるのは大抵ピンチになったときだった。大事な模試の結果が優れなかったり、精神的にダメージを負っていたとき。そんなときに、どうしようもなくパソコンに向かって文字を打っていた。どれもマイナスな出来事の後だった。
つまり、心の中では抑えきれなかった、溢れ出してしまった感情をぶつける先として「ものを書く」という場所を選んでいたのだ。
(正直そこから生まれたモノは恥ずかしすぎて、残しておくのもギリギリレベルである)
そんな僕が読書感想文で無理やり感情をぶつけるなんて、難しすぎたのかもしれない。
● 物書きとしての、スタイル
そんなブログの経験を経て、「文章を書く人」としてネットの海に飛び込んだわけだが、その感覚を考える上で、大学の講義をぼーっと聞いていて、耳に残っている言葉がある。
「小説家には2つのタイプがある。一つは自分の人生を生きるために小説を書く人。もう一つは小説のために人生を生きる人だ」
この分類でいえば、間違いなく僕は後者だ。もちろんおもいきり小説家になろうとしているわけではないし、ただただ感情のはけ口として、身体だけの関係の「都合のいい女」のような存在として文章を書いていたのだが、やはり創作意欲を掻き立てられるのはいつも負のエネルギーが溜まったときだった。
正直前者で文章を書ける人は羨ましい。後者の人間は何か苦しみを背負って文章を書かねばならない。太宰治のように。
第一、文章を書いているのが受験期と就活期の時点で、色々察するところはある。
結局傷ついた自分をさらけ出すことで癒しを求めている、と思われるし、そういった一大イベントは大抵向こうからやってくるものだけだ。
結局凡人たる自分という人間には、こういうイベントがなければ苦しみ、成長の機会が得られないのだ。
やはり読書感想文では「負のエネルギー」はたまらないし、創作意欲が湧かないのも仕方あるまい。
● なぜnoteを書くのか?
ここまで、自分の書くこと及び「読書感想文」に対する考え方をつらつらと綴ってきたわけだが、このnoteに関しては、就活という枠があれどまだそこまで重い負のエネルギーから生まれているわけでもないし、読書感想文のように書くことを強いられているわけでもない。じゃあなぜnoteを書いているのだろうか。
僕にとって、noteはこの2つの中間的な位置にあるんだと思う。だからこそ、どちらにも傾くことがある。「就活お悩み」と「読書感想文」が交互に投稿されることもあるだろうし、全く関係ないメモになるかもしれない。「読書感想文」が嫌いだからといって、それは書かなくていい理由にはならない。
このnoteにおける自己表現を通じて、何か殻を破りたい。新たな、文章による自己表現を目指したい。そんな気持ちで文字を打つことになりそうです。
この、僕と「書くこと」の関係性の変化を、所信表明として、これからもnoteを書いていきたいと思う。頑張ろう。
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