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映画『アレクサンドリア』

2009年/製作国:スペイン/上映時間:127分
原題 AGORA
監督 アレハンドロ・アメナーバル




予告編(日本版)


予告編(海外版 英語)


STORY
 
4世紀、エジプト。ローマ帝国末期のアレクサンドリアの都に、数学と天文学に突出した才能を発揮した女性哲学者、ヒュパティアの姿があった。
 だが、アレクサンドリア図書館を有し英知と栄華を誇った都は衰退の一途を辿り、異教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒による宗教闘争の暗い影は急速な広がりをみせていた。
 そのような状況の中、ヒュパティアはムーセイオン(学士院)において、宗教の違いを超えて生徒たちを教え、導いていた。しかしヒュパティアの知性やその想いとは逆に、権力を欲するそれぞれの宗教指導者たちに扇動された大衆により、宗教闘争は次第に苛烈を極めてゆく。
 そしてついにヒュパティアの運命も、否応なくその暗黒の闘争(殺戮の連鎖)の渦中へと巻き込まれてゆくこととなる。

ヒュパティア(レイチェル・ワイズ)


レビュー

 実在の女性哲学者ヒュパティアを主人公に、スペインの奇才アレハンドロ・アメナーバルが描く歴史大作である本作は、当然のように傑作となりました。
 歴史的な事実を数年かけてリサーチし、その上に観客の知識と想像力を強く刺激する脚色を加えて放つシナリオの出来は圧巻で、まるで満天の星空を見るかのように、優れた視点と知性の輝きが全編に満ちて美しい。
 配役、衣装、美術、音楽、等に一切の隙は無く、描き方もバランス感覚に優れており、例えばヒュパティアはその優れた面のみならず、いくつもの弱点を合わせ持つ存在として描かれていて、ひとりの人間(女性)としてとてもリアリティーがあります。
 また、これまでの歴史大作映画とは全く別のアプローチを行ったことも、この作品の価値と芸術性を更なる高みへと押し上げました。

 特筆すべきは、宇宙からの視点をこれまでに無い感覚にて効果的に取り入れたこと(と、その場面における音の選択の確かさ)。
 そして殺戮や破壊を行う人間達を上空からの視点を用いて蟻のように捉えたこと(と、その映像をコマ送りすることにより獲得した効果〖まるで昆虫のような不気味さ〗を最大限に発揮させていたこと)です。
 これらの場面には深い感銘を受けました。

 太古の昔より、人々は空を見上げ、その美しさと調和に魅了されてきました。天体の運行は天文学や数学、音楽等の芸術、科学、宗教、哲学の基底となり、私たちの想像力や知識欲を刺激し続けています。
 今、私たちはヒュパティアの生きた時代には見ることの叶わなかったものの多くを目にすることが出来るようになり、遥か彼方の宇宙までをも視覚化することが可能となりました。しかし、見えなかったものを見えるようにしたことにより、皮肉にも今度は目に見えないものは、無い、考えない、信じない、という風潮もまたより深く広がってしまいました。それはもしかすると、ヒュパティアの時代よりもさらに酷い状況を生み出す可能性を孕んではいまいか・・・、というか既に、私たちはそういった状況を日々生み出し続けてしまっているような気がしてなりません(「放射能」の問題然り)。

 宇宙を構成している殆ど(96%)のものを、私たちは視覚により確認することは出来ず、私たちが見ているもの、すなわち視覚を用いて知覚することが可能なものはわずか「4%」であるという説があるのはご存じでしょうか。
 たとえば人は他人の心は見えず、ゆえに悲しみや痛みも見ることは出来ません。それゆえに私たちは自分には見えない、感じられないということを言い訳にして安易な選択をしてしまうことも多く、見えないものの存在を感じる努力を怠り、それどころか全く存在しないものとしてしまうことさえあります。ですけれども本来、見えないものの方が見えるものよりも遥かに多く存在しているわけです。
 そのような状況を踏まえて考えるならば、「見えるものよりも見えないものの方が遥かに多いということを日々しっかりと意識して生きることこそが、私たちにとってとても大切なことである」ということが言えるのではないでしょうか。またそうすることにより、見えるもののもつ力やその価値を、より生かすことも可能となるように思います。
 ※現在、視覚を重視する余り嘘の画像(情報)を信じ込み、「無い」ものを「有る」としてしまう事態が爆発的に増加しており、強い危機感を覚えます

 「歴史は繰り返す」と言う人がいます。けれど、歴史は繰り返しません「人間が繰り返す」のです。
 いじめや差別、レイプや殺人、公害、貧富の差、自然破壊、そして戦争という愚行を、もし本気でこの世から無くそうとするならば「知識を得るための学びの習慣」「知識を用いて思考する習慣」、そして「見えないものを知識を用いて想像イメージし知覚しようと努力する習慣」を多くの人が意識して行うことが前提となるのだということを、本作は静謐な筆致にて示し、私たちに伝えてくれます。
 それから本作は4世紀という過去を描くことにより、21世紀の現在を描いているように思います。
 ※もしかすると現在のみならず未来をも描いてしまっている可能性も・・・

 ヒュパティアはムーセイオンでの講義中、宗教の違う2人の教え子(オレステスとシネシウス)がその考え方の違いからお互いを排除するような発言をして口論となった際、「エウクレイデスの公理Ⅰ」の法則を示すことにより、その仲裁を行います。そして自分の生徒全員に向かい、毅然きぜんとした態度にて以下のように説きます。

 「皆さんに心から伝えたいことがあります。私たちには、違いよりも共通点が多いということです。教室の外で何が(宗教対立が)起きようとも、みんな兄弟です。同じ兄弟よ

 と。
 現代に生きる私たちは、ヒュパティアよりも更に明確にその事実を証明することが可能です。なぜなら、私たちの遺伝子の99.9%は同じものであり、その差異は0.01%であるということが解明されているからです。
 ※ちなみに猫とは90%同じなのだそうです




ヒュパティアについて

 ※(史実を基に制作された)映画のネタバレを含みますゆえ、作品未見の方はお気をつけください

 以下、《『男装の科学者たち ヒュパティアからマリー・キュリーへ』マーガレット・アーリク著 上平初穂 上平恒 荒川泓 訳》よりの抜粋となりますけれども、短く纏める目的により、原文に若干手を加えております。ゆえに、更に詳しく知りたいという方には書籍の購入をお勧めいたします(ヒュパティアについては約6ページの記述があります)。

 ヒュパティアに関する資料は、その著作の大部分は失われるも、それらに言及する文章の多くが現存している。
 370年に生を受けた、西方世界における最後の異教徒の科学者であったヒュパティアの知性に満ちた人生は、キリスト教徒の暴漢達に襲われての暴力による虐殺死で幕を閉じた。その生涯はローマ帝国の末期と一致しており、さらにその後1000年もの長きにわたり天文学や数学等にほぼ進歩の無い、キリスト教が中心となっての暗黒時代が続くこととなったため、古代科学の輝きの最後の光として、ヒュパティアは人々に語り継がれる存在となった。

 ヒュパティアの父テオンは、ムーセイオン(学士院)の数学者であり、天文学者でもあり、最後のアレクサンドリア図書館館長でもあった。それは富を有する知識階級であったという事実を示すと同時に、ヒュパティアにとって奇跡のような好条件が整っていたことも示している。また、ヒュパティアの知性を開花させた最大の貢献者のひとりは父親のテオンであったことは明白で、女性がしばしば人間以下と考えられていた時代に、テオンは娘のヒュパティアに英才教育を施し、超一流の知識人へと育て上げることに成功した(もちろん、ヒュパティア自身の能力と努力も突出していた)。

 知性と美しさ、そして品格を併せ持つ女性へと成長したヒュパティアは、イタリアへと遊学し、その見識を広げつつ、出会った多くの人々に深い印象をあたえた。その後アレクサンドリアへ戻ると、ムーセイオンにて数学と哲学の教師となった。
 当時のアレクサンドリアでは、異教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒は、それぞれ別の教育機関を持つようになっており、ムーセイオンに往時の活気は無かったが、ヒュパティアの講義は人気があったようで、宗教に関係なく天文学、数学、哲学等を各地から集まった学徒に教えていた。
 ある記述には「彼女はプラトンやアリストテレスらの教義をくわしく説明するよう正式に任命されていた」とある。またヒュパティアの邸宅は学徒や学者の集まる場として機能していたようで、日々、科学や哲学上の問題について議論がなされていたという。

 ヒュパティアの著作の大部分は学徒のためのテキストであったとされ、また父テオンの論文集にも深くかかわっていたとされるが、どれも完全な形で残っているものは無い。しかし、弟子のひとりであったキュレネのシネシウスの書簡によりその業績のいくつかを知ることが出来る。
 残されているヒュパティアのもっとも重要な仕事は「代数」であり、ディオフォントスの「アリスメティカ(算数論)」13巻に注釈を記したものである。また、アポロニウスの円錐曲線に関する8巻の本を書いている。
 ※映画ではこの円錐曲線《平面が円錐を切るときに描かれる幾何学的図形》がキーポイントの一つとなり、ヒュパティアは地球の軌道が「楕円」であることを発見する
 ヒュパティアの死後、17世紀初頭まで、円錐曲線は無視され続けることとなる。しかしその後、天体の軌道のような自然現象が円錐曲線によって説明可能となることを科学者たちは知るに至った。
 テオンはエウクレイデスの『幾何学言論』を改訂しており、今日用いられているのはこのテオンの手による改訂版となっているが、この改訂作業にはヒュパティアが参加していたと考えられている。また、プトレマイオス天文学に関するテオンの仕事について、一冊の本を書いてもいる。さらにシネシウスの書簡によると、ヒュパティアは力学および実用技術にも興味を持っており、天体観測儀、水の蒸留器、水位測定器、等を制作、改良していたことがわかっている。

 四世紀のアレクサンドリアは新プラトン学者の中心地であり、ヒュパティアは数学的に基礎づけられた新プラトン主義を支持していたようであるが、キリスト教徒達にとっては全てのプラトン主義者たちが神を否定する知識を有する危険な異端者であった。
 ヒュパティアの学徒であったユダヤ人のヘシュキオスの記述には
 
 哲学者のマントを身にまとい、市の中央を通って進み、彼女の話を聞こうと望んだ全ての人達にたいして、彼女はプラトンやアリストテレス、または他の哲学者の著作について公衆の前で講義した。執政官たちは市の諸々の行政について、まず彼女の意見を求めたものだった。
 
 とある。
 異教徒であり、科学的合理主義の支持者でもあり、政治に強い影響力を持つヒュパティアは、キリスト教徒が勢力を急速に拡大する中、必然的に、非常に危険な立場に身を置かざるをえない状況となっていった。
 
 412年に、狂信的なキリスト教徒のキュリロスがアレクサンドリアの総大司教の地位に就くと、ヒュパティアの学徒であったエジプトのローマ長官オレステスとの間に、強い緊張関係が生じた。権力を手に入れ、ローマ皇帝の後ろ盾を得たキュリロスは、直ぐにユダヤ人の迫害に着手し、数千人のユダヤ人を市から追放し始めた。また、オレステスの強い反対にもかかわらず、彼は市から新プラトン主義者を追放することを意図するようになった。
 危険を察知したオレステスの懇願にもかかわらずヒュパティアは、自らの信念を貫いてキリスト教に改宗することはなかった。ヒュパティアの虐殺について、5世紀のキリスト教徒の歴史家、スコラスティカスはつぎのように述べている。

 誰もが彼女の心の稀にみる慎み深さについて敬意をあらわし、称賛した。
 そういうわけで、かえって彼女に悪意を抱き、妬む者たちもいた。彼女はオレステスとしばしば話し合い、とても親しい間柄にあったので、人々は大司教とオレステスが友人にならないのは彼女のせいであると非難したのである。あるとき、かっとなりやすい無文別な愚かな者たちが(彼らの扇動者はキリスト教会指導者のペータであった)、ヒュパティアが何処からか帰宅するのを見かけた。彼らは二輪車から彼女を引きずり下ろし、カエサリウム教会に引きずり込んだ。そして衣服をすっかり剥ぎ取って裸にし、鋭い貝殻で肌を削ぎ落とし、体をずたずたに引き裂いて死にいたらしめたのである。彼らは彼女の体を四つ裂きにし、その身体の各部をシナロンと呼ばれる場所に吊るし、焼いて灰にしてしまった。

 キュリロスが直接ヒュパティアの殺害を命じたという証拠は残ってはいない。しかし、至極控えめに言ったとしても、彼がそのような残虐行為を可能にした政治的風潮を作りだしたことに疑いの余地はない。
 このキュリロスは、後に聖者の列に加えられ、現在も聖者として崇められ続けている。
 ヒュパティアの死後、西方世界では、キリスト教の普及とともに多くの宗教儀式の出現や、広範な宗教的無秩序、星占術や神秘主義への関心が科学研究にとって代わることとなり、以降ヨーロッパは1000年の暗黒時代をむかえることとなった。

本文より(若干手を加え)抜粋



女性差別と科学

 ヒュパティアの能力や実力を知れば知るほど、当時の社会がそれに見合った地位を彼女に与えることが出来なかった理由を知りたくなりました。色々調べてゆくと、現在も続く女性蔑視の歴史とその大まかな構造を知るに到り、そのことに関して書くことは、本作を理解する上で非常に重要なキーワードの一つとなることも見えてきました。しかし、余りにも膨大な資料のため、この記事に記すことは断念せざるを得ません。
 そこで以下に、読みやすく、且つその全体像を把握する上にて参考となった書籍を2冊ほど紹介することにより、本項目に関する記述の代わりとさせていただきます。


『男装の科学者たち ヒュパティアからマリー・キュリーへ』
(著者等は上記【ヒュパティアについて】を参照のこと)

 「名前を変え、姿を変え、ときには夫や知人の成果として発表する・・・。科学を志す女性が克服してきた不当な差別や偏見の実例と背景を丹念に追求。古代から19世紀にいたる男装の科学者たちの役割を発掘・検証する」

帯より

『科学の女性差別とたたかう 脳科学から人類の進化史まで』
アンジェラ・サイニー著 東郷えりか訳

 「自分の脳や体、お互いの関係についての私たちの考え方は、科学者によってまとめあげられたものだ。そしてもちろん、私たちは科学者が客観的な事実を与えてくれるのだと信じており、科学者が提供するのは偏見にとらわれない話なのだと信じている。だが、こと女性に関しては、この物語のじつに多くが間違っているのだ」

「まえがき」より



 本レビューを、もしも最後まで読み通してくださった方がいらっしゃいましたら、心よりお礼申し上げます。
 お読みいただき、ありがとうございました。


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