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生成AIの"幻"が描く未来:田村友一郎「ATM」展が示唆するイノベーションの新地平

生成AI(Generative AI)は、テキスト、画像、音声などのコンテンツを自動的に生成する技術として、ビジネスの世界に革新をもたらしています。企業の業務効率化やコスト削減に大きく貢献し、多くの企業が導入を進めています。しかし、その活用における重要な課題の一つが「ハルシネーション(幻覚)」です。本稿では、このハルシネーションが秘める意外な可能性について、最新のアート作品の事例を交えながら考察します。


AIが見る"幻"の正体

ハルシネーションとは、生成AIが現実には存在しない情報や誤った情報を生成する現象です。この現象は、AIが学習データのパターンを誤って解釈したり、データの不足や偏りによって発生します。例えば、ビジネスレポートの作成時に、実在しない論文や統計データを引用したり、存在しない企業の事例を挙げたりすることがあります。多くのビジネスシーンではこのような誤った情報は重大な問題となるため、AI開発企業はハルシネーションの抑制に注力しています。

「ATM」展でのAIのアートへの活用

しかし、このハルシネーションには、意外にも創造性を刺激する可能性があります。水戸芸術館で開催されている「田村友一郎 ATM」展は、この現象を積極的に活用した革新的な事例です。

展示の起点となっているのは、銀行のATMを模した独特の装置です。来場者は、この装置に向かい、暗証番号を入力するように3文字のアルファベットを入力します。すると、その文字を頭文字とする日本語と英語の短い物語が、レシートのような形で印刷されて出てきます

田村友一郎《ATM》:筆者撮影

このシステムの特徴は、アーティストの田村友一郎さん(1977-)作品制作の際に書いてきたテキストから抽出した語彙をAIに学習させている点です。入力された文字をきっかけに、AIがその語彙を基に新しい物語を即興で生成します。同じ文字を入力しても、毎回異なる物語が生成されるため、私たちは予測不可能な創作体験を楽しむことができます。さらに特筆すべきは、英文も同じ文字から始まり、日本語とほぼ同様の意味になっているという、人間には難しい芸当を実現している点です。

田村友一郎《ATM》から出力された物語:筆者撮影

なお、この作品の制作には、朝日新聞社メディア研究開発センターの浦川通さんが協力しています。

創造の源泉としての"デジタルな"幻視"

このアート作品は、ビジネスにおけるイノベーションに重要な示唆を与えています。通常、ビジネスでは正確性が重視されますが、イノベーションの過程では、既存の枠組みを超えた発想が不可欠です。

田村さんの作品手法は、展示を行う場所の歴史や文化的背景から素材を集め、それらを独自の視点で結びつけて新しい物語を創造するというものです。田村さんの場合、物語を創る骨格が決まっていて、素材を当てはめていけば新しい物語が完成するという特徴があります。この田村さんの思考とAIの創作過程の類似性への着目が本作品の着想につながりました。

ATMという作品において、ハルシネーションは新しい発想を生み出すきっかけとなっています。産業界でのイノベーション創出においても、既存の事実や概念を予期せぬ形で組み合わせることで、これまでにない価値を創造できる可能性があります。

AIと人間の創造性の質的差異

しかし、現状のAIには限界も存在します。田村さんは、AIが生成する文章と自身が書く文章には、なお大きな質的差異があると指摘しています。

例えば、展覧会のハンドアウトには、田村さん自身が過去の作品を基に書いた新しい物語が掲載されています。これをAIの生成した文章と比較すると、その違いは明白です。田村さんの文章には、私たちが普段気付かないような微細な観察による発見や、一見無関係に見える事象から生まれる、ユーモアや驚きに富んだ独創的な物語が描かれています。

田村友一郎「ATM」展のハンドアウト:筆者撮影

このように人間の創造性の特徴は、多様な事象を多層的に結びつけ、予想外の発見や洞察を生み出せる点にあります。これは、現在のAIにはまだ到達が困難な領域といえるでしょう。

田村さんが今回の展覧会で《ATM》を冒頭に展示したのは、AIと人間を比較することが目的ではなく、自身の制作の基本原理である「一見無関係と思える要素を新結合させて価値を創造すること」を端的に示すためだと考えられます。

田村友一郎「ATM」展 展示風景:筆者撮影

デジタルな"錯覚"が拓く創造の新領域

ここで、非常に興味深い仮説が浮かび上がります。生成AIのハルシネーションは、実は人工知能が「創造性」を獲得していく過程で必然的に発生する現象ではないかということです。

人間の創造的思考においても、時として現実とは異なる「妄想」や「空想」が重要な役割を果たします。むしろ、ハルシネーションを完全に排除しようとすることは、AIから創造性の芽を摘み取ってしまうことになるのではないでしょうか。実際に、AIのハルシネーションが必ずしも否定的な現象ではないという研究の存在を、朝日新聞社の浦川さんが指摘しています。

Image by Google DeepMind from Unsplash

この観点に立てば、企業がAIを活用する際も、用途に応じてハルシネーションを許容する「クリエイティブモード」と抑制する「ビジネスモード」を使い分けるという方策が有効かもしれません。

例えば、新商品開発やブランディング戦略の立案など、創造性が求められる場面では、あえてハルシネーションを許容することで、人間の想像力を刺激する新しいアイデアの種を得られる可能性があります。一方で、財務報告や法務文書の作成など、正確性が求められる業務では、従来通りハルシネーションを極力抑制する設定を使用します。

このように、AIの描く"創造的な幻"を巧みに操ることで、AIは単なる業務効率化のツールを超えて、イノベーションのパートナーとなる可能性を秘めています。アーティストが織りなすように、詩的な偶然性に満ちたハルシネーションに近づけることができれば、私たちの想像を超える革新的なコンセプトを生み出せるようになると期待できます。


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